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by よしだ よしだ

【連載】シュガーロード紀行 -漆- 唐津

【連載】シュガーロード紀行 -漆- 唐津

ごきげんよう よしだです。

この連載は、その昔 砂糖が運ばれていったことから「シュガーロード」とも呼ばれる長崎街道を辿りつつ、沿道に今も残る銘菓を中心にその土地ならではのお菓子を食べ歩こうという企画です。

今回は長崎街道からはちょっと外れて唐津を訪れます。

以前「【まち歩き】 唐津街道を歩く -福岡編-」でも取り上げましたが、現在の北九州市若松付近(※他にも大里、木屋瀬など諸説あります)から玄海灘沿いに芦屋、赤間、博多、姪浜、今宿を経て佐賀県唐津市に至るのが唐津街道です。

平戸や博多と同じく、唐津は古代から大陸とのかかわりが深かった土地で、良港に恵まれ城下町としても栄えた場所です。

唐津駅

7月某日、唐津にやってまいりました。博多からは筑肥線で快速だと約1時間で到着します。

これは駅構内の観光案内所。
唐津は最近、某アニメの聖地としても訪れる人が多いようです。

菜畑遺跡

まずやってきたのは菜畑遺跡です。

この遺跡は昭和54年、道路工事中に偶然発見され、その後調査や整備が進められました。
現在見つかっている遺跡の中では日本で一番古い(2500~2600年前 縄文時代後期)水稲耕作遺跡で、国の史跡にも指定されています。

ここでは住居跡や水田跡、甕棺墓、貝塚などが発掘されました。

敷地内には遺跡の出土品を展示する施設「末盧館」も建てられています。
末盧館という名前は魏志倭人伝に出てくる「末盧国」(まつろのくに:現在の唐津市および周辺にあたる地域にあったと考えられる)からつけられたそうです。

館内には炭化して真っ黒になった日本最古の籾米も展示されていました。

館内の説明書きにもありましたが、稲作は現在の中国南部で発祥し、海を越えて北部九州の玄海灘沿岸地域に伝播し、徐々に日本列島を北上するように広まっていきました。

現在遺跡のある場所はかなり海から離れた場所なのですが、当時はすぐそばに海岸線があったと考えられています。

竪穴式住居もありました。

遺跡内に復元された水田では毎年古代米の栽培・収穫が行われているそうです。水田はかなりこじんまりしたサイズでした。

唐津曳山

唐津といえば唐津くんちです。

江戸時代後期から明治時代にかけて造られた14台の曳山が、秋の唐津を駆け抜けます。大きな曳山が大勢の曳き子によって曳かれ動く様は大迫力です。

唐津くんちをご覧になったことのない方は佐賀県観光連盟によるこちらの動画をどうぞ。

曳山は、粘土で取った型の上に和紙を張り重ね、漆を何度も塗って仕上げる乾漆という手法で作られています。曳山1台を造るのに現在のお金に換算して1~2億円が費やされました。

おくんちの期間には県内外から数十万人もの見物客が訪れます。

旅Karatsu 唐津観光協会|唐津くんち

唐津神社

唐津くんちが奉納されるのが唐津神社です。
これは唐津神社のシンボルでもある参道に立つ真っ白な鳥居。

社伝によれば、三韓征伐に際して航海の安全を住吉三神に祈願した神功皇后が、帰朝の後に報謝のため松浦の海浜に宝鏡を縣けて三神を祀ったのに起源を持ち、天平勝宝7年(755年)に、時の領主であった神田宗次が神夢により海浜に赴くと、漂着してきた宝鏡入りの筺を得たので、神功皇后の捧げた鏡であろうと帝に奏聞したところ、9月29日に「唐津大明神」の称号を賜ったという。(中略)

慶長年中に寺沢氏が唐津城を築いて入部すると、同7年(1602年)(または11年(1606年))に当神社を再建、以後唐津藩主の祈願所と定められ、崇敬を受けた。
Wikipedia「唐津神社」

唐津神社の例大祭では1600年代から神輿の御神幸が行われていましたが、曳山が曳かれるようになったのは一番曳山の赤獅子が完成した文政2年(1819年)から、現在のように11月2、3、4日の日程で唐津くんちが開催されるようになったのは昭和43年からです。

曳山展示場

唐津神社のすぐ隣に曳山展示場があります。
曳山はおくんちの3日間以外はここに納められています。

昔は各町ごとに曳山の保管庫があり、保管庫の近所の家は火事で曳山が燃えたりすることがないようにとても神経を使ったそうです。

館内は撮影自由ということもあって、曳山の前で自撮りしている人が多数いました。

ちなみに私の推し山は、五番曳山 鯛と十一番曳山 源頼光と酒呑童子の兜です。

鯛は動きがとてもかわいいのです。過去には海を越えてフランスのお祭りに参加したこともあります。
源頼光と酒呑童子の兜は見た目が一番怖い曳山なのですが、一周廻ってそこが魅力です。

展示場の一角には曳山の台車の前にぽつんと座る人形が。
これは三番曳山 亀と浦島太郎ですが、亀は現在修理作業中との貼り紙がしてありました。

本来の姿はこちら。(これは過去の唐津くんちで撮った写真)
浦島さんの表情が至ってのどかなのとは対照的に、亀の顔が非常に迫力があります…。

旅Karatsu 唐津観光協会|曳山展示場

黒獅子

ところで、唐津曳山には現存する14台の曳山の他に、幻の「黒獅子」の曳山がありました。明治時代に制作された「唐津神祭行列図」にその姿が描かれています。


(これは曳山展示場に展示してあった行列図の一部)

黒獅子は、明治20年代のおくんちの際に不幸にもお堀のどぶに落ちてその後廃棄されてしまった模様。

はっきりした記録があまり残っていないので謎の多い曳山ですが、地元の方たちによって様々な考察や調査が行われ、近年では地元青年部により黒獅子の曳山復元も試みられているようです。

紺屋町 黒獅子考

西の門館

曳山展示場から歩いて数分の場所に西の門館があります。ここには曳山の修理場があり、修理の様子をガラス越しに見学できるようになっています。

現在行っている作業についての説明や工程表も貼り出されてありました。

説明書きによると、今回飛龍の塗り替えを担当しているのは、日光東照宮など国内の重要文化財の修復を多数手がける小西美術工藝社さんだそうです。

展示場に居なかった亀の姿も見ることが出来ました。

唐津城

唐津藩藩主の居城が唐津城です。

豊臣秀吉が行った文禄・慶長の役の際、現在の唐津市鎮西町に名護屋城が建造されましたが、唐津城はその名護屋城の解体建材を再利用して、初代藩主 寺沢広高が造ったと伝わっています。

現在ある唐津城は昭和40年代に建造された模擬天守です。内部には唐津に関する史料が展示してあります。

最上階からは唐津市街が一望できます。虹の松原も端まで見渡せました。

この虹の松原を作ったのも寺沢広高です。
砂浜の砂と風から耕地を守るために松を植えたのが始まりで、江戸時代を通して藩の管理下におかれ保護されてきました。

その結果全長4km以上の広大な松林となり、日本三大松原の一つとしても数えられる景勝地となりました。松原沿いの砂浜は夏になると海水浴場としても賑わいます。

ところで唐津藩の藩主は6回替わっています。

松平氏、水野氏など江戸幕府の中枢も担った譜代大名が多いのが特徴かもしれません。最後の藩主だった小笠原氏も幕府への忠誠心が大変篤く、戊辰戦争では最後の激戦地函館まで幕府軍として戦いました。

旧唐津銀行

市街中心部に、ひときわ目を惹くレンガ造りの建物があります。
唐津出身の建築家、辰野金吾の監修により建てられた旧唐津銀行です。

明治43年に着工、明治45年に完成し唐津銀行本店となります。
昭和30年に銀行の合併により佐賀銀行唐津支店となり、平成9年までここで銀行業務が行われていました。

その後唐津市に寄贈、保存修理工事を経て平成23年から一般公開されています。2017年には県の指定文化財にも登録されました。

入館は無料で、史料の展示や地元のイベント会場としても使用されています。

内装も建造時のとおりに補修・復元されています。
繊細な装飾が施された柱、木製の窓口カウンターなど、明治期の建物は気品があってとても美しいです。

室内を装飾する大きな鏡や一部の窓ガラスは、建造当初からのものが今も使用されています。

辰野金吾の大きな写真パネルも飾られていました。

肥前さが幕末維新博 唐津サテライト館

旧唐津銀行の2階は、今年開催中の「肥前さが幕末維新博」の唐津サテライト館会場となっています。

会場では唐津が生んだ偉人、そして当時国内最大規模の産炭地として唐津とその周辺地域の産業を支えた唐津炭田が紹介されていました。
維新から明治にかけての唐津は、隣の佐賀藩とはまた違った近代化の歩みを辿ったことを知ることが出来ました。

これは会場でもらったフライヤーとパンフレット。

近代の唐津を語る際に忘れてはならないのが、藩の英語学校 耐恒寮とそこで教鞭をとった若き日の高橋是清の存在です。


(写真はWikipediaから) 

高橋は語学留学のため13歳で渡米しますが、一時は奴隷として売られてしまい、過酷な労働をしながらも英語を習得します。

日露戦争時には英国に渡り、日本の戦時外債の公募にあたって巧みな交渉で巨額の戦費調達に成功した功績で知られています。のちに日銀総裁・大蔵大臣・内閣総理大臣も務めました。

高橋が唐津へ英語教師として赴任したのは日本に戻ってきて3年目、18歳の時です。

これは当時耐恒寮があった場所を示す石碑。旧唐津銀行から歩いて2、3分の場所です。

耐恒寮の教壇に高橋が立ったのはわずか1年ほどの間でした。

しかしこの1年の間に耐恒寮に学んだ生徒の中には、辰野金吾の他にも、同じく日本の近代建築に大きな業績を残した曽禰達蔵、早稲田大学の2代目学長となった天野為之、のちに唐津銀行を創設し、建物の設計を辰野に依頼する大島小次郎などがいました。

辰野と曽禰はその後相次いで上京、工部大学校(のちの帝国大学工科大学)に入学しイギリス人建築家ジョサイア・コンドルに師事、辰野はイギリスにも留学し本場の西洋建築を学びます。

曽禰達蔵は日本最初のオフィス街と言われる「丸の内三菱オフィス街」をはじめオフィスビルを多数設計、辰野金吾は東京駅、日本銀行本店・大阪支店・京都支店、旧両国国技館、奈良ホテルなどを設計、共に日本の近代建築の礎を築きました。

大原老舗 唐津本店

旧唐津銀行の隣にあるのが、大原老舗本店です。
もとは阿わび屋という屋号で、江戸時代後期から続くお菓子屋さんです。

看板商品は松露饅頭。松露とは松の根元に生える丸いきのこで、その形状に似た饅頭ということで松露饅頭の名がついたとのこと。

「肥前の菓子」には

古老の話として、門前において祭事の時のみやげ菓子として発達したものといわれている。
すなわち、唐津神社の例祭の折に、唐津駅から神社の間、約1キロメートルの間に”松露饅頭”を売る店が数件あったという。

と記載されています。「唐津神社の例祭」、つまり唐津くんちの隆盛と共に唐津土産としての松露饅頭が定着し、近隣地域にも名物として知られていったことがうかがえます。

ここでは松露饅頭を一箱購入しました。

伊藤けえらん

博多への帰り道、唐津から4駅目の浜崎駅で途中下車します。

浜崎をはじめ旧東松浦郡地域にはけいらん(けえらん)というお菓子があります。
そのけいらんを売るお店のひとつ「伊藤けえらん」さんに立ち寄りました。

このお店の近くには唐津街道が通っていて、諏訪神社という古い神社もあります。

お店のHPに記載してありましたが、「けえらん」という名前には下記のような由来があるそうです。

太閤豊臣秀吉が朝鮮出兵で、浜崎は諏訪神社にて戦勝祈願をした際に地元民によって献上された戦勝祈願の菓子。

このときに秀吉が「これを食べたならば勝つまで帰らん」と語ったとされるエピソードが言い伝えられておりこの「帰らん」という言葉が次第に訛り「けえらん」という菓子名になったとされる。

文献『日葡辞書』より引用-

また、「肥前の菓子」には、諏訪神社とけいらんとの関係も語られていました。

諏訪神社はまむしよけ・農作業の神様として近隣十里の人々から広く信仰を集める神社でしたが、春の例祭の折には、参拝する人たちが各々けいらんを持ち寄って食していたこと。
太平洋戦争後は、唐津神社の例大祭における松露饅頭のように、諏訪神社例祭の参道にはけいらんの屋台が並ぶ風景が見られたことなど。

松露饅頭もけいらんも、その土地に根付く信仰やお祭りによって育まれてきたお菓子だったのですね。

これがけいらん。粉状にしたお米を蒸して搗いて作った生地で、たっぷりのあんこを巻いてあります。1つ¥100。よもぎ入りは¥110です。

伊藤けえらんさんでは店内で頂くこともできるのでお茶と一緒に頂きました。出来たてのけいらんは柔らかくモチモチしていて大変美味しかったです。

けいらんは日持ちがしないため、地元以外ではほとんど知られていなかったお菓子なのですが、最近では急速冷凍の技術によって通販での購入も可能になったそうです。

伊藤けえらん

お菓子試食タイム

唐津で買ってきたお菓子を試食してみたいと思います。商品名やパッケージがどれも松に因んだお菓子です。

松露饅頭

まずは大原老舗の松露饅頭です。箱には曳山展示場にもあった唐津神祭行列図の一部が印刷されています。

断面を見ていただくとわかりやすいですが、中身はほぼあんこです。
外側の皮の部分はカステラ生地、こういったところに長崎街道の影響も少なからず感じられます。

ほぼあんこだけどあっさりした甘さでサイズも小さいので、1個といわず2個3個と軽く食べられる感じです。

松原おこし

次は「松原おこし」です。こちらは虹の松原の中にある麻生本家というお菓子屋さんが製造されています。今回は唐津駅そばのふるさと会館アルピノのお土産売り場で購入しました。

おこしを包んであった紙は「松原おこしのしおり」として、商品についての説明が書かれていました。

説明書きによると、丸く伸ばしたおこしの形状は黒松の幹をイメージ、それを台形型に積んであるのは鏡山の形を模しているとのこと。

おこしの周囲には黒砂糖の粉がまぶしてありますが、これはおこし同士がくっつくのを防ぐ役割もあると思われます。このたっぷりの黒砂糖もあって結構甘めのお味です。

おこしといえば、以前 諫早・大村の黒おこしも食べましたが、松原おこしは黒おこしに比べてお米の表面にかかっている飴の量が多い感じで、かなり柔らかめの食感でした。

抹茶松露

こちらもアルピノのお土産売り場で買ったお菓子です。

製造元は、主に海産物を加工・販売されている呼子の木屋というお店です。
昔から販売されているお菓子ではないと思いますが、唐津ではこのように松露饅頭の他にも松露をイメージしたお菓子が今も色々と作られているようです。

あんこを丸めたものを砂糖でコーティングしてあります。緑色のものは抹茶味。
濃い目の日本茶によくあうお味でした。

今回の紀行マップ

記事をまとめていて気付きましたが、今回の紀行はそのまま唐津の歴史を順にたどるものでした。

古代:菜畑遺跡
中世 – 近世:唐津神社・唐津城
近代:旧唐津銀行

市内には他にも旧高取邸や旧三菱合資会社唐津支店などの古い建築があるので、そういった建物を見ながらまわるのも楽しいかもしれません。

そして至る所で目にする曳山の絵や各種グッズ、今年も唐津くんちは観に行こうと思います。

それではまた。

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