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by よしだ よしだ

【連載】シュガーロード紀行 -陸- 佐賀

【連載】シュガーロード紀行 -陸- 佐賀

ごきげんよう よしだです。

この連載は、その昔 砂糖が運ばれていったことから「シュガーロード」とも呼ばれる長崎街道を辿りつつ、沿道に今も残る銘菓を中心にその土地ならではのお菓子を食べ歩こうという企画です。

今回は佐賀市を訪れます。

佐賀駅

4月某日、佐賀にやってまいりました。
JRの場合は博多から約1時間半ほどで到着します。

今年は明治維新から150年ということで全国各地で記念行事が行われていますが、佐賀でも「肥前さが幕末維新博覧会」が開催されています。

佐賀駅の改札もこんな感じ。

駅前には会場を案内する地図のパネルもありました。

偉人モニュメント

維新博の開催に合わせて、市の中央大通り沿いには佐賀出身の25人の偉人の像が設置されています。

写真中央の扇を持った像は、藩主になった17歳頃の鍋島直正だそうです。

小城 の回で取り上げた中林梧竹の像もありました。

これは森永製菓の創業者 森永悌一郎(奥)と、江崎グリコの創業者 江崎利一(手前)の像。

森永悌一郎は伊万里出身、江崎利一は佐賀市の出身だそうです。

日本を代表する製菓会社2社の創業者が佐賀から出ていることも、シュガーロードの存在が大きく関連していたのではないかと思います。

江崎利一が持っているのはグリコのキャラメル。

像の傍らに建ててある説明書きに「グリコの顔として知られるゴールインマークは、八坂神社(佐賀市)の境内でかけっこしている子供たちの姿からヒントを得て考案された。」と書かれていました。
グリコのマークのルーツも佐賀にあったのですね。

八坂神社も長崎街道沿いにいまも残っています。実際に行ってみましたが、こじんまりとしていながらもお手入れの行き届いた神社でした。

偉人モニュメント

肥前さが幕末維新博覧会

せっかくなので維新博もちょっと覗いてみたいと思います。

維新博の会場は佐賀市内に3か所あり、幕末維新記念館(市村記念体育館)がメイン会場です。他に鳥栖と唐津にもサテライト会場があります。

市村記念体育館は、佐賀市出身のリコーの創業者 市村清が市に寄贈した体育館です。写真の通り大変ユニークな形の建物です。

市村清の像も偉人モニュメントにありました。手に持っているのはリコーフレックス。

幕末維新記念館はツアー形式で40分ほどかけて会場内を巡ります。

音響や照明、風なども駆使して、幕末に佐賀藩が果たした役割や佐賀の偉人の業績や生涯を迫力ある映像で解説した内容でした。

こういった映像を使った見せ方は、体感型アトラクションの感覚で楽しみながら観れるので良いなと思いました。

肥前さが幕末維新博覧会HP

佐嘉神社

市村記念体育館や佐賀城本丸跡とお堀を挟んで向かい合う場所にあります。

嬉野・塩田 の回でも触れましたが、「佐嘉」は明治時代以前に使われていた地名の表記です。この神社には鍋島直正公・鍋島直大公が祀られています。

境内にはアームストロング砲があります。

佐嘉神社では毎年元旦にカノン砲で祝砲を放つ神事も執り行われているとのこと。いかにも維新の雄藩らしい神事です。

そして佐賀の七賢人の碑も。(鍋島直正・佐野常民・島義勇・副島種臣・大木喬任・江藤新平・大隈重信)

佐嘉神社の境内には八つの社があり、それらを巡る「八社詣巡り」も行えます。
私もやってみました。

お社にはそれぞれスタンプが置いてあるので、お参りしながらスタンプラリー形式で台紙にスタンプを集めていきます。

鍋島氏が仕えていた龍造寺氏を祀った社、恵比須様や御稲荷様、河童の神様を祀った社もありました。何だか守備範囲の広い、おおらかな神社だなと思いました。

長崎街道の痕跡

長崎街道は、現在の佐賀市中心部を東西に横切る形で通っていました。

佐賀市は太平洋戦争時に大規模な空襲に遭わなかったこともさいわいして、長崎街道の道筋をほぼ当時のまま辿ることができます。

地図のスクリーンショットは 旧街道地図|GpsCycling.net 長崎街道地図 よりとらせていただいています。

今回は市中心部の西側、伊勢神社付近から日新小学校付近までの長崎街道を歩いてみたいと思います。

側溝の蓋にはこんなシルエットが。この側溝の蓋は長崎街道に沿って設置されているので、これを目印にしながら歩くと辿りやすいです。

伊勢神社

伊勢神宮の分社として1542年に現在の神埼市に建立され、初代佐賀藩主鍋島直茂公により現在の場所に移されました。

その名は広く知られ江戸時代には平戸や五島からも参拝者が訪れたそうです。

鳥居は肥前鳥居と呼ばれる佐賀地方に多く見られるもので、石造りで柱部分が下に行くほど太いのが特徴です。そういえば小城の岡山神社の鳥居も肥前鳥居でした。

境内には肥前狛犬もあります。

長い時間を経て摩滅したのか、もともとデフォルメされた形状だったのか、小さくて丸っこい像です。
何となく不思議なかわいらしさも感じる、あまり見かけないタイプの狛犬でした。

長崎街道の道標

伊勢神社のそばには江戸時代の石の道標も残っています。

筆書きっぽいゆびさしマークと「ながさき」の文字が彫られています。
こういうものを見ると、江戸時代の頃から現代のピクトグラムのご先祖様みたいなものが存在していたんだな、と妙に感慨深い気持ちになります。

築地反射炉

長崎街道をさらに辿って歩いていくと日新小学校があり、その校庭の一角には築地反射炉跡の復元模型と記念碑があります。

築地反射炉は日本で初めての実用反射炉で、ここで精錬した鉄で日本初の鉄製大砲が鋳造されました。

幕末に作られた反射炉といえば「明治日本の産業革命遺産」にも登録されている静岡県の韮山反射炉が有名ですが、韮山反射炉を築く際にも佐賀藩から多数の技術者が派遣されたそうです。

このように幕末当時、佐賀藩は製鉄・大砲鋳造に関して国内で最先端の技術を持っていました。
これは佐賀藩が福岡藩と交互に勤めていた「長崎御番」(=長崎湾の警備役)、そしてフェートン号事件が起因しています。

Wikipedia 「フェートン号事件」

ペリーの黒船来航に先立つ約50年前、フェートン号事件によっていちはやく西欧諸国の軍事力の脅威に気付いた佐賀藩は、藩主鍋島直正のもとで富国強兵策をすすめると共に軍事技術の近代化につとめました。

結果、幕末の戊辰戦争の戦闘において佐賀藩兵やアームストロング砲が威力を発揮し、「薩長土肥」と言われるように明治維新でも大きな役割を果たすことになります。

歴史面から見る佐賀の菓子

長崎警備役を務めていたこともあって、佐賀藩は長崎に入ってくる異国の文化に接する機会にも多く恵まれていました。
長崎に伝来したヨーロッパや中国のお菓子も、長崎街道を介して佐賀に伝わりました。

佐賀に数多くの銘菓が生まれたもう一つの理由は、佐賀平野で獲れる豊富で良質な小麦粉があったことです。

これは走っている電車の車窓から撮ったのでボケ気味になってしまいましたが、線路沿い一面に広がる佐賀平野の麦畑の写真です。現在でも佐賀は日本有数の小麦の生産地です。

海を越えて伝来した製菓技術と砂糖、菓子の主原料となる地場産の小麦粉が揃ったことで、佐賀でゆたかなお菓子の文化が発展していくこととなります。

銘菓めぐりの旅

「銘菓めぐりの旅」は、佐賀市観光協会が販売している市内のお菓子屋さん4店舗を巡るクーポンチケットです。

佐賀を訪れる前にネットで下調べをしていた際にこのクーポンのことを知りました。

これが佐賀駅の観光案内所で購入したチケット(¥500)。お店の地図が載ったパンフレットも貰います。チケットは購入した当日のみ有効です。

さっそく対象店舗を廻ってみたいと思います。

村岡屋

もとは小城の村岡総本舗の分家で、昭和のはじめに佐賀市で開業された菓子店です。

ここでは「さが錦」を頂きました。お店では紙袋に入れて渡してくださいました。

「さが錦」は浮島という小豆入りの蒸し和菓子をバウムクーヘンでサンドしてあります。パウンドケーキみたいでしっとりとしていて美味しいです。

佐賀の銘菓 村岡屋

八頭司伝吉本舗

大正時代に創業の小城羊羹のお店です。そういえば小城に行ったときに本店を見かけました。

このお店の羊羹は「昔ようかん」。
小城独特の表面の砂糖が結晶化した羊羹なのですが、この砂糖の固まり具合がしゃりしゃりを通り越してサクサクとでも形容したい特徴的な食感になっています。

初めて食べましたがすごく美味しいです。

お茶と頂いたものとは別に、こちらも頂きました。

伝承銘菓処 八頭司伝吉本舗

村岡総本舗

小城の回で本店を訪れた村岡総本舗ですが、今回訪れたのは佐賀市唐人町店です。

こちらでは「とら焼宗歓」を頂きました。
どら焼きではなくとら焼き。確かに皮の焼き色の模様が虎柄です。生地はどら焼きよりふわふわして柔らかく、中には紅煉の餡が入っています。

村岡総本舗

北島

江戸時代はお数珠屋さんを営まれていたそうですが、幕末に菓子屋さんに転業。
従来は固い焼き菓子だったボーロを改良して、現在の柔らかい丸ぼうろを作り始めたのが北島さんなんだそうです。

こちらでは丸ぼうろとごまぼうろを頂きました。
ごまぼうろは、ぱりっとしていておせんべいに近い食感です。ごまの風味が香ばしさを添えています。

丸芳露本舗 北島

「銘菓めぐり」の対象の4店舗はすべて中央大通り沿いにあるので楽に廻ることができました。どの店舗にもイートインスペースがあるので、その場でお菓子を頂くこともできます。

街歩きの休憩もしながら色々な種類のお菓子が楽しめたのがよかったです。

鶴屋

銘菓めぐりで佐賀市内の代表的な菓子店を廻りましたが、それ以外にも是非訪れてみたいと思っていた菓子店がありました。

それが佐賀藩の御菓子司もつとめた鶴屋です。

鶴屋のご先祖はもとは武家だったそうですが、寛永十六年(1639年)に菓子店を開業、二代目に当たる黒川太兵衛が、長崎に出向いた際にポルトガル人より伝えられた丸ぼうろの製法を佐賀に持ち帰ったそうです。

総理大臣を務め早稲田大学の創設者としても知られる大隈重信は、鶴屋の丸ぼうろを大変気に入っており、一時期 佐賀から東京の自分の屋敷に職人を招いて丸ぼうろを作らせたこともあるとのこと。

こちらでは丸ぼうろと、「丸ぼうろのためのマーマレード」を購入しました。

佐賀銘菓 元祖丸房露 御菓子司 鶴屋

お菓子試食タイム

丸ぼうろ

鶴屋さんで購入した丸ぼうろを試食してみたいと思います。

「肥前の菓子」によると、丸ぼうろはもとはポルトガル船に積み込まれた航海時の保存食(ボーロ)で、今より形も小さく固いものだったそうです。

長崎に上陸後 佐賀に伝わり、明治以降製法が改良されて、現在のような柔らかい丸ぼうろが作られるようになったといいます。

鶴屋さんの丸ぼうろの原料は小麦粉・砂糖・卵・蜂蜜など。
ほどよい柔らかさとやさしい甘さで日本茶にもコーヒーにもあいます。

丸ぼうろのためのマーマーレード

一緒に購入した「丸ぼうろのためのマーマーレード」も試食してみます。

この商品は、江戸時代から鶴屋に伝わる文書に記載された「三柑漬様」を現代に再現したものだそうです。

「三柑漬様」の項には、 「生の唐みかんを湯で煮、よい煮加減で押しつぶし、砂糖で煮、よい加減のときにそうけに上げ、生砂糖を掛ける。もっとも砂糖蜜のままでもよい。」 と記されており、現在のジャムの製法とほぼ同じであることが分かりました。 -鶴屋HPより –

このマーマーレードには、県内の生産者さんが作るクレメンティンというスペイン原産の柑橘が使われています。

まずマーマーレードを単体で食べてみました。一般的にマーマーレードと言えばほろ苦い味が特徴ですが、このマーマーレードには苦みがありません。柑橘の酸味と甘みが凝縮されている感じです。

次に丸ぼうろに適量をのせて食べてみました。果皮の繊維がすごく細かく砕いてあるので丸ぼうろによくなじみます。一緒に食べると丸ぼうろの甘みだけでなく酸味がアクセントとなって美味しかったです。

鶴屋さんではマーマーレードの他にも「丸ぼうろのためのアイスクリーム」なども販売されているそうです。

そのまま食べても勿論美味しい丸ぼうろですが、こういったあたらしい楽しみ方も生まれていて、伝統的なお菓子の側面も残しつつも、時代に合わせて変化や進化もしているんだな、と思いました。

今回の紀行マップ

今回歩いてみて実感したのですが、佐賀は一見地味なようでいて(←ごめんなさい)本当は見どころがすごく多く、まちの至る所に昔の面影が残っている場所でした。

今回の記事を書くにあたっても、歩き廻る時間が1日では全然足りなくて、2回3回と佐賀を訪れました。

今回の記事で書ききれなかったことも多く、例えばその一つがえびすさんです。佐賀市内にあるえびすさんの数は約800体以上で、これは日本一の数だそうです。しかも今でも増えているとのこと。

これは佐賀駅ホームのえびすさん(QRコードつき)。

佐賀のまちを歩く際は、いろんな所にいるえびすさんを見つけながら歩くのも楽しいと思います。

あと、「どんどんどんの森公園」というのが気になるので、今度佐賀を訪れた際に行ってみようと思います…。

それではまた。

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