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by よしだ よしだ

【連載】シュガーロード紀行 -伍- 小城

【連載】シュガーロード紀行 -伍- 小城

ごきげんよう よしだです。

この連載は、その昔 砂糖が運ばれていったことから「シュガーロード」とも呼ばれる長崎街道を辿りつつ、沿道に今も残る銘菓を中心にその土地ならではのお菓子を食べ歩こうという企画です。

今回は羊羹で有名な小城を訪れます。

小城駅

2月某日、小城にやってきました。
JRで長崎本線を博多から佐賀まで、佐賀からは唐津線に乗り換えて3駅目で小城に到着です。

唐津線を走る車両。黄色のカラーリングもかわいいワンマン運転の一両編成です。後で知りましたが、唐津線の大部分の区間は電車ではなくディーゼル車が使われているそうです。

小城駅のプラットフォームの看板。羊羹と桜の絵が描かれています。「おぎ」の点々も桜の花びらになっていますね。

駅舎は白壁と瓦葺きのレトロな建物です。待合室には地元の人たちが寄贈した本も置いてあります。

駅を出ると雪がちらついていました。

羊羹のまち

小城のまちを歩くと羊羹屋さんの多さに驚かされます。小城駅を出てすぐのところにも羊羹屋さん(写真左上:村岡総本舗小城駅前店)、駅から延びる通り沿いにも何軒も羊羹屋さんがあります。

「小城羊羹協同組合」と書かれた建物もありました。

桜城館

小城市の複合文化施設で、1階は図書館、2階に中林梧竹記念館や歴史資料館などがあります。

中林梧竹記念館

中林梧竹(なかばやし ごちく)は小城出身の書道家です。「明治の三筆」の一人であり、明治天皇に書を献上したこともあるそうです。


写真はWikipediaから。

記念館では梧竹の作品を展示すると共に、彼の生涯と功績を紹介しています。

展示を観ていて面白かったのは、歳を重ねるごとに「上手い字」「きれいな字」といった枠を飛び越えて、どんどん自由奔放な書になっているところです。

例えば、これは入場券に使われていた作品で「快雨」という字が書かれていますが 、

↓ こんな感じに見えます。

これはもう文字を通り越して、よろこびの感情や雨が降る様をそのままに表しているようです。こういった感じで、書に詳しくなくても楽しんで鑑賞できる作品も多数ありました。

梧竹の書は記念館のWEBサイトでも見ることができます。
中林梧竹記念館デジタルミュージアム

小城市立歴史資料館

古代から現代までの小城の歴史を見ることが出来ます。地元の小学生の歴史の授業にも使われるようで展示物には分かりやすい解説文がつけてありました。

現在の小城市は、平成17年に小城町・三日月町・牛津町・芦刈町が合併して生まれました。

展示品の解説やパネルの説明文にありましたが、旧三日月町地域からは旧石器時代から人が住んでいた事を示す石器や土器が出土しており、中国大陸からいちはやく稲作文化が伝わったことを示す弥生時代の遺跡も見つかっているそうです。
(中世~江戸時代、この地域は小城一帯でも特にお米の収穫量の多い場所でした。)

また、15世紀頃の小城は北部九州では博多についで人口の多い地域だったそうです。

小城を語る際に出てくる言葉の一つに「小京都」があるのですが、この言葉からも、小城が長い歴史があり 経済面でも文化面でも豊かな場所であったことがうかがえると思います。

これは桜城館のロビーにあったパネル。小京都と呼ばれる場所は全国にこんなにたくさんあるんですね。

ようかんMAPや、まちあるきの案内地図があったので、貰って次の目的地へ向かいます。

村岡総本舗本店・羊羹資料館

次に訪れたのが村岡総本舗と羊羹資料館です。

私がこの紀行連載を始めるきっかけとなった本、「肥前の菓子」の著者である村岡安廣さんは、この村岡総本舗の代表取締役です。

そういった経緯もあり、羊羹資料館は小城に行く機会があれば是非訪れたいと思っていた場所でした。

写真右側の茶色い建物が羊羹資料館です。

昭和16年に砂糖の貯蔵倉庫として建てられ、防火性を高めるためにレンガ作りになっています。丸にウのマークは大正から昭和30年代まで使われていた商標だそうです。

館内には、羊羹に関する様々な展示物がありました。

原料の豆や寒天、機械化以前に使われていた木製の羊羹づくりの道具やかまど、羊羹の運搬に使われた箱、日本各地から集められた珍しい羊羹や国外の羊羹のパッケージもありました。

展示を観た後は、隣の店舗へ。

羊羹と、「羊羹資料館案内」の本と長崎街道のポストカードを購入しました。

村岡総本舗 羊羹資料館

須賀神社

村岡総本舗・羊羹資料館の目の前にあるのが須賀神社です。

見ての通り、階段というより斜面に立てかけた梯子のようなすごい傾斜の参道です。傾斜はたぶん70度くらいある気がします。

桜城館で貰った案内地図によると、鳥居の扁額は梧竹の揮毫だそうです。

神社の縁起を記した看板。
ここは中世 小城一帯を治めていた千葉氏の居城があった場所でもあります。

休み休み息を切らしながら参道を登って参拝しましたが、一番上まで登ると小城の街並みが一望できます。晴れた日にはもっと遠くまできれいに見えそうです。

しかし降りるときは、あまりの急傾斜に足がすくみました…。

深川家 揚羽の蝶

羊羹資料館・須賀神社から歩いて2、3分のところにある古民家カフェです。
時計も正午を回っていたのでここでお昼をいただくことにします。

お店の方が炭を活けた火鉢を持ってきてくださいました。この火鉢も古そうです。

ランチメニューはお蕎麦とカレーから選べます。
写真はごはんの後のコーヒーとデザート。お膳に載せられて運ばれてきました。

お店の方にお伺いしたところ、「店内の写真も撮っていただいていいですよ」とのことだったので、その時撮った写真を何点か載せます。



黒光りした天井や欄間、建具や調度品からも、長い年月 大事に使われてきたことがうかがえます。

深川家は江戸時代は造り酒屋、明治時代以降は米屋を営まれていたそうです。

建物の外には広いお庭もあります。
店内にもちらしが置いてありましたが、落語会や蕎麦打ち体験会などの催しも行われているそうです。

※このお店は土日のみの営業のようなので、営業時間等を確認した上での訪問をおすすめします。

深川家 揚羽の蝶

小城公園

小城藩の初代藩主の時代に桜の木を植えて茶屋を設けたことに始まり、二代目藩主によって大規模な桜の植樹と庭園としての整備が行われ、桜の名所となった場所です。

GoogleMAPで見ても広い公園ですね。

グラウンドやテニスコートなどの運動施設、庭園や複数の神社や祠、さらには古墳もあります。

桜岡公園碑

写真ではちょっと見づらいですが、「桜岡公園」と刻まれています。この石碑の揮毫も梧竹だそうです。

「小城公園」と呼ばれるようになったのは昭和20年代で、それまでは「桜岡公園」と呼ばれていました。

岡山神社

小城藩初代藩主の鍋島元茂、二代目藩主の鍋島直能が祀ってあります。

鳥森稲荷神社

ここで珍しかったのは、お社の前に狛犬のように対になった馬の像があったことです。

こまうま(?)と言っていいのでしょうか。

牛津

せっかく近くまで来たので、長崎街道の宿場でもあった牛津へも足をのばしてみたいと思います。小城から唐津線で久保田まで戻り、久保田から長崎本線に乗り換えて次の駅が牛津です。

牛津駅

小城駅もレトロな駅舎で素敵でしたが、牛津駅も素敵なデザインの駅舎です。

建物はレンガ調の洋風な作りですが、屋根は和風の瓦葺きです。

駅のそばには長崎街道をテーマにしたこんなモニュメントもありました。
絵の中には象や南蛮風の衣装を着た人物も描かれています。

牛津町会館

「玉屋デパート」の創業者である田中丸善蔵の邸宅だった建物です。

実際の開業は鹿児島の山形屋に先を越されますが、善蔵は九州で初めての百貨店開業を計画した人物でした。

塀に掲げられた案内板には、
「明治末期から大正初期にかけて建設されたと考えられています。
昭和29年に佐世保玉屋から牛津町に寄贈され、今日まで町民の集会所や文化サークルの稽古事に活用されています。」とあります。

牛津赤レンガ館

玉屋デパートの前身だった田中丸商店の倉庫として、明治時代後期に建てられました。

牛津は川港としても栄えた場所で、近隣地域の物資の集散地でした。もともと商業が盛んだった土地柄もあって、のちに「九州の百貨店王」と呼ばれた田中丸善蔵のような人物も輩出されたのだと思います。

(牛津駅の駅舎はこの倉庫をモデルに作られているようです。屋根の傾斜がすこしふくらんだ瓦葺になっていますが、このふくらんだ形もそっくり再現されています。)

常時解放されてはいないので訪れた時は中に入ることはできませんでしたが、牛津町会館と同じく、この建物も地元の催し事などに活用されているそうです。

お菓子試食タイム

小城で買ってきた羊羹を試食してみたいと思います。

羊羹は、字が表す通り「羊の羹(あつもの=スープ)」が起源だと考えられています。

” 冷めることで肉のゼラチンによって固まり、自然に煮凝りの状態となる。
鎌倉時代から室町時代に、禅僧によって日本に伝えられたが、禅宗では肉食が戒律(五戒)により禁じられているため、精進料理として羊肉の代わりに小豆を用いたものが、日本における羊羹の原型になったとされる。” Wikipedia「羊羹」

小城で羊羹が作られるようになったのは明治時代からで、当初は「練り羊羹」「櫻羊羹」という名で売られていたそうです。

小城で多く作られていたのが、原料にいんげん豆の一種である手亡豆を使い、赤の色素で色付けした”紅煉”の羊羹でした。
きれいな色あいと、小城が桜の名所でもあったことから「櫻羊羹」という名になったようです。

↑これは羊羹を買ったときに入れてもらった紙袋。

現在広く知られている「小城羊羹」という名称をはじめて使ったのは、村岡総本舗の二代目だった村岡安吉氏だそうです。

現在、「小城羊羹」の呼称は、小城羊羹協同組合に加盟した地元や近隣地域の羊羹店が使用できる地域団体商標となっています。

お店にはさまざまな種類の羊羹があり、どれにするか迷いましたが、期間限定商品の梅羊羹と、色々な味が詰め合わせになったミニサイズの羊羹を購入しました。

昔ながらの小城羊羹

火にかけて練った羊羹の液を大きな型に流し込み、冷え固まったものを切り分けて成形する昔ながらの製法で作られた羊羹です。

セロファン→紙のパッケージ→経木→竹の皮 の順で丁寧に包んであります。

表面に砂糖が結晶化して白く固まっています。この固まった砂糖のしゃりしゃりした食感が小城羊羹の特徴です。

梅羊羹は紅煉の羊羹に梅の果肉が入っています。切り分けると断面の色合いもきれいですね。

食べてみると梅の味が羊羹の甘さと調和し、甘さを引き立ててもいます。これは一切れといわず二、三切れくらい軽く食べれそうな感じです。

試食したスタッフからは「甘すぎないのでかえって美味しい」「あっさりしていて好き」「食感がゼリービーンズにも似てる」という声が聞かれました。

昭和以降の小城羊羹

こちらはアルミのパック(ガゼット)に羊羹の液を流し込み、そのまま密封・成形した製法の羊羹です。
アルミ包装を使った食品保存技術は1930年代に海外で確立されました。昭和初期、小城の羊羹づくりにもこの新しい技術が取り入れられます。

アルミ密封することにより、羊羹の保存性は格段に高まりました。

「羊羹資料館案内」に書かれていましたが、小城羊羹の名が広く知られるようになった理由の一つとして、このアルミ包装の羊羹が戦前戦中に軍の携帯保存食として用いられたことが挙げられていました。

小城羊羹は海軍御用達、ちなみに陸軍御用達は東京のとらやだったそうです。当時小城羊羹の名は日本だけにとどまらず、満州など海外でも知られていたといいます。

ミニ羊羹は食べきりにちょうどいいサイズでパッケージも味ごとに色が違います。こちらは表面もつるつるしていています。

左から、紅煉、本煉、抹茶、小倉、南瓜。こうやって並べると彩りもきれいですね。かぼちゃの羊羹ははじめて見ました。

スタッフにはそれぞれ好きな味を選んで食べてもらいました。
私は小倉を食べましたが小豆の粒々した食感も楽しめて美味しかったです。きれいな色の羊羹もいいですが、やはり黒い羊羹は味もどっしりとしていていいです。

今回の紀行マップ

味覚の記憶にも思い出補正が掛かるのかもしれませんが、小さい頃に食べた小城羊羹は、もっと甘みが強かった気がします。

今回の紀行では古い建物を数多く見ることができました。
記事を書くにあたって再度調べてみたら、今回訪れた場所の中にも国登録有形文化財の建物が5つありました。
(小城駅本屋・羊羹資料館・深川家住宅・牛津会館・牛津赤レンガ館)

小城市ホームページ「小城市の文化財」

小京都の名にふさわしく、豊かな歴史があり、それらを大切に残していく土地柄がこういうことろにも表れていると思います。

小城を訪れた日は時折雪が降る寒い日だったため、あまり市内を歩き回れませんでした…。小城公園の桜は是非一度見てみたいので、次に行く際は桜のシーズンにあわせて訪れたいと思いました。

それではまた。

追記 3月 小城公園再訪

桜の咲く時期にあわせ小城公園を再訪しました。
やはり花があると、冬に来た時とは全然違った印象です。

全体的にまだ五分咲きくらいだったので満開ではなかったものの、桜の花を楽しむことが出来ました。



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