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by よしだ よしだ

【連載】シュガーロード紀行 -肆- 嬉野・塩田

【連載】シュガーロード紀行 -肆- 嬉野・塩田

ごきげんよう よしだです。

この連載は、その昔 砂糖が運ばれていったことから「シュガーロード」とも呼ばれる長崎街道を辿りつつ、沿道に今も残る銘菓を中心にその土地ならではのお菓子を食べ歩こうという企画です。

バックナンバーはこちら → -壱- 長崎 -弐- 諫早・大村 -参- 平戸

今回からは佐賀県に入ります。
訪れるのは温泉とお茶の町嬉野と、今も白壁の建物が建ち並ぶ塩田です。

俵坂関所跡を見に行く

11月某日、嬉野にやってまいりました。

嬉野の街はずれに、江戸時代に関所が置かれていた場所があるとのことで、まずはそれを見に行くことにします。

現代の地図で見ても、このあたりは長崎県との県境付近ですね。

関所跡の看板のそばにはバス停と待合所があります。

待合所の横に立つ看板の図をみると、関所跡は車道から斜面を少し下った場所にあるようです。

斜面を下って少し歩くと、関所跡を示す石碑と藩境を示す石碑がありました。

石碑に刻まれているのは「従是北佐嘉領」の文字。
(佐賀の地名は、古くは「佐嘉」という表記が用いられていました。現在使われている「佐賀」という表記になったのは明治以降だそうです。)

石碑のそばに立ててある看板にはこう書かれています。

戦国時代にはすでに関所としての機能があったと伝えられるが、創設の時代は不明である。
江戸時代になると長崎街道として佐賀、大村両藩の藩境の要地となり、特にキリシタンの取締りが厳しかったといわれる。

-嬉野市教育委員会-

諌早・大村の回でも触れましたが、戦国時代の大村の領主 大村純忠は日本で最初のキリシタン大名になった人物でもあり、キリスト教の禁教後も大村やその周辺には多くの隠れキリシタン信徒がいました。

嬉野でも、不動山という場所にはキリシタンに関連する史跡が多数残っているそうです。そういった事情もあって俵坂関所では取り締まりが強化されていたのですね。

このあたり一帯は山に囲まれていて、勾配のきつい山道を超えていくのは一苦労だったろうと思います。

嬉野宿のおもかげ

関所を見たあとは嬉野の中心部に戻ります。

(嬉野の)歴史は非常に古く、神功皇后の西征にまで遡る。その帰途に白鶴を見付けたが、傷を負っていて心配していたところ、河原に舞い降りて湯浴みをすれば、再び元気に去っていくのを見て「あな、うれしや」と感歎された。(中略)
嬉野という地名は、この逸話に因み、嬉野は元々「うれしや」と呼ばれていたとされる。

-Wikipedia 嬉野温泉

神功皇后の西征は西暦200年頃(※諸説あります)の出来事と考えられているので、随分昔から嬉野には温泉が湧いていたことがうかがえます。

古くから温泉に浸かって病気を治す湯治場として知られていましたが、江戸時代に入ると長崎街道の整備に伴って宿場町としても賑わうことになります。

街のなかには嬉野宿を偲ばせるものが今も残っていました。

西搆口跡

これは宿場の搆口(=木戸のあった場所)に立つ石碑。現在の大正屋という旅館の前にあります。
写真の石碑と看板の間にある白いものは嬉野名物温泉湯豆腐のオブジェです。

シーボルトの湯

嬉野市が運営する公衆浴場です。

ここは、もとは蓮池藩(=佐賀藩の支藩で藤津・鹿島・嬉野のあたりを治めていました)が運営した湯治場があった場所でした。

身分の高い人が入る浴槽、一般の人が入る浴槽など、いくつかの区分は設けてありましたが、入浴料は庶民でも利用できるように安価な価格設定にされていたそうです。

「シーボルトの湯」という名前は、嬉野の温泉について、お湯の成分など科学的な調査を初めて行ったのがシーボルトだったことに由来しているようです。
シーボルトは江戸へ参府する際に長崎街道を通り、嬉野にも立ち寄りました。
その時書いた紀行文には宿場町や湯治場の様子も記されていて、当時を知る貴重な史料になっています。

(シーボルトの湯の写真は撮り忘れてしまいましたが、西洋風のちょっとおしゃれな感じの建物です。また少し離れた場所に「シーボルトの足湯」という施設もあります。)

これは湯宿広場の看板。湯宿広場にも無料で楽しめる足湯の施設があります。

嬉野 神社仏閣巡り

瑞光寺

室町時代に建てられたお寺です。
以前は別の場所にありましたが、1400年代後半に今の場所に移されました。

江戸時代には本陣代わりの宿舎としても使われたそうです。

山門に立つ石の仁王像。

荒々しいというよりはどこか親しみの湧く表情です。後ろにひるがえった衣の曲線も石を彫って作ったとは思えないようなやわらかさが感じられます。
あと、個人的には乳首がお花型なのも気になります。

境内の石の装飾には鍋島家の家紋をかたどったものもあります。

敷地が広く、仁王像をはじめとする石像だけでなく様々な石の細工がありますので、ゆっくり散策してみると楽しいと思います。

豊玉姫神社

温泉街の中心部にお社がある嬉野の氏神様で、境内に建つ看板によると、豊玉姫とは竜宮城の乙姫様のことだそうです。

水の神様が祀られているのは、温泉の湧く嬉野の土地柄をよく表している気がします。

鍋島氏の家紋の幕が掛かっているのは、この神社が藩主の祈願所でもあったためです。

ここは美肌の神様として有名で、境内に祀られた白いなまず様に水を掛けながらお願いするとご利益があるとのことです。(なまずは豊玉姫のお遣いと言われています。)

勿論私も美肌祈願をしてきました。

六地蔵

以前 瑞光寺があった場所に建てられたお地蔵さまです。

「六地蔵」というと、六体のお地蔵さまが横並びに一列に並んだものを思い浮かべますが、この嬉野の六地蔵は1つの柱に六方向を向いたお地蔵さまが彫られていて珍しいです。こういった形の六地蔵は佐賀や長崎に多く見られるそうです。

あめがたや

豊玉姫神社参道のすぐそばにあるのがあめがたやさんです。

こちらのお店では「あめがた」と呼ばれる伝統的な飴を今でも手作りで製造されています。お店に並んでいるのは、飴やおこし、黒棒、豆菓子などの昔ながらのお菓子です。

こちらではあめがたと嬉野らしいお茶飴を購入しました。
お茶飴は「茶」の文字入り。濃いお茶の風味がしておいしかったです。

八天神社と眼鏡橋

嬉野から塩田へ向かう途中にある神社にちょっと寄り道してみます。

八天神社は「火の神」「火伏せの神」として、この地域で古くから祀られてきた神社だそうです。12月の例大祭ではお火たきが行われます。

長い参道の途中には眼鏡橋があります。ゆるやかな曲線や欄干の造形も美しいです。

この橋は江戸時代の終わり、嘉永5年(1852年)から7年(1854年)にかけて作られたものとのこと。

参道の脇には川辺に降りる道があり、川には飛び石もあるので橋を下から見ることもできます。

下から見ると石が隙間なくきっちりと組まれていているのがよくわかります。

ちょっと変わった形の鳥居も目を引きます。角柱状の石材が用いられているのも珍しいです。扁額には「武徳」の文字が刻まれています。

これは狛犬

境内にはこの他にも水神様を祀った池があったり、山側には天狗様を祀る社もありました。

塩田宿散策

塩田にやってきました。ここは川港としても栄えた宿場町です。
「塩田宿」の石碑の横には街のシンボルである恵比寿様のレリーフもあります。

荷揚場跡

まずは塩田川の荷揚場跡を見に行きます。

塩田川は有明海と繋がっていて、潮の満ち引きを利用して船が行き来していました。

看板を見ると、天草のあたりから運ばれてきた陶石がここに荷揚げされていたそうです。荷揚げされた陶石は、ここから有田や伊万里、長崎の波佐見など、焼き物の生産地へと運ばれて行きました。

このあたり一帯でも窯業が盛んだったようです。
塩田には志田焼という焼き物があり、嬉野の近くでは肥前吉田焼という焼き物が造られています。

塩田へ陶石を運んできた船は、帰りには焼き物や米などを運んでいきました。

荷揚場跡の近くには町並み交流集会所という施設があって、前を通りかかると集会所の方がマップを下さいました。

塩田津の長崎街道

塩田津のメインストリートが長崎街道とも重なるわけですが、ここの道幅は昔の街道らしからぬ広さです。

これは明治期に家々を後方にずらして道幅を広げたからだそうです。

この通りには馬に荷台をひかせた馬鉄が走り、大正時代には佐賀県で初めての鉄道(祐徳稲荷神社ー武雄間)も開通しました。

昭和40年~50年代になると、自動車など新しい運搬手段が普及し、塩田川も水害対策工事に伴って船の往来もなくなり、物流の大動脈だった塩田津の大通りと港も役目を終えることになりました。

白壁の町並み

街道の沿道には、今も白壁の家々が建ち並んでいます。

さきほど貰った街並みマップを見ると、このあたり一帯は「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されていて、対象の建造物は27軒あるそうです。

その中の一つ 西岡家住宅。廻船業を営んだ商家のお屋敷です。

ここは無料で中を見学することもできます。(が、公開時間は15時までとのことで、私が訪れた時にはすでに閉まっていました…。)

塩田の家の立派な白壁は、この宿場が度々大火事や塩田川の氾濫による水害に見舞われたことにも起因しているそうで、災害から大切な家財を守るために分厚いしっかりした壁になったのだそうです。

塩田の石像

恵比寿像

町並み交流集会所で町のマップと一緒に貰ったのが塩田津の恵比寿像マップです。

塩田津の町並み沿いには恵比寿像があちこちに見られ、地域の人たちは今でも「えべっさん」として親しんでいます。
恵比寿は漁業の神様として信仰され、交換経済の発達により商売繁盛の神様としても民衆に広がり、室町時代には七福神の一つとしてあがめられるようになりました。

-マップに記載の説明文より抜粋-

通りを歩いていると確かにあちこちに恵比寿さんがいます。

いつ作られたものかわからない古い像から平成に入って作られた新しい像まで様々です。

仁王像

恵比寿像とあわせて見て回りたいのが仁王像です。

こちらは本應寺(ほんのうじ)の山門前に立つ仁王像。
どっしりとしていますが、丸みを帯びた形のせいかどこかユーモラスな雰囲気も漂っています。

本應寺は嬉野で訪れた瑞光寺と同じく、本陣としても使われたお寺です。
お寺が開かれたのが1586年(天正4年)、仁王像が造られたのは1749年(寛延2年)だそうです。

本應寺の境内には他に阿弥陀如来座像などもありますので、お立ち寄りになった際はそちらもご覧になってみてください。

そしてこちらは常在寺の参道に立つ仁王像です。

これは大きいです。
像の高さが約2.4mあるとのことで、表情もポーズもすごい迫力です。

常在寺の建立はなんと708年(和銅元年)。和銅元年は日本で初めてのお金「和同開珎」が造られた年ですね。常在寺はこのあたりで最も歴史の古いお寺だそうです。

仁王像のそばに立っていた看板を読むと、像が造られたのは1825年(文政2年)。
塩田の庄屋ほか十数名の寄進で立てられ、作ったのは地元の塩田の石工さんとのこと。

塩田の石は安山岩という種類の石で、彫刻にも適したものでした。塩田やその周辺の地域の石像のほとんどはこの塩田石で作られているそうです。

杉光陶器店

石像を見て廻って、ふたたび街の中心に戻ってきました。

西岡家住宅には入れなかったのですが、そのお隣にある杉光陶器店は営業中だったので入ってみることにしました。

建てられたのは西岡家住宅と同じ年、1855年だそうです。黒光りする柱や梁が時代を感じさせます。

このお店ではカフェスペースもありお茶やコーヒーを頂くことができます。
カフェオレは泡立てたミルクがたっぷりでおいしかったです。

お菓子試食タイム

嬉野・塩田のお菓子を試食してみたいと思います!

あめがた

まずは嬉野のあめがたやさんで購入した「あめがた」です。手作りでの製造のため、たくさんは作れないんだそうです。

見た目は、白くて平べったく、1つが3cm×15cmくらいの短冊形で、外側はくっつかないようにオブラートで包んであります。昔は米ぬかを使ってあめがくっつかないようにしていたそうです。

原料は水飴と黒糖だけ!
(黒糖はあめがたの中にちょこっと入っています。)

実は、あめがた自体には砂糖は使われていません。甘みを出しているのは水飴です。

水飴はモチ米と麦芽糖を煮て作られます。つまりは米と麦です。米も麦も、佐賀平野で盛んに栽培されてきた作物ですね。

※現在の麦芽糖はとうもろこしやさつまいもから作られることが多いようです。

ビタミンやミネラルなどが多く含まれているので、産後のお母さんが滋養をつけるためにもよく食べられたそうです。

「肥前の菓子」を読むと、モチ米由来の飴は、おこしなどの米菓子と同じく、稲作の盛んだった中国南部より伝播したと考えられ、日本でも古くから作られていて9世紀頃の書物にはすでに記載があるそうです。
南蛮貿易により日本に入ってきた砂糖よりも、ずっと昔からあった甘味料でした。

モチ米がたくさんとれる佐賀で生産された水飴は、長崎で作られるカステラの原料としても使われたそうです。

-あめがた 食レポ-

このまま口に入れるのは大きすぎるので、包丁で切り分けて食べます。

これも「肥前の菓子」に書いてありましたが、七五三のときに神社で貰う千歳飴はこのあめがたと同じモチ米の飴だそうです。

千歳飴も最後に食べたのがいつだったか思い出せないので味も忘れていましたが、穏やかな甘さが口いっぱいに広がります。
室温に置いた状態ではまあまあ固いけど、口に入れるとすぐに柔らかくなるので予想していたよりも食べやすいです。

スタッフからも「やさしい甘さ」「甘みがあっさりしている」「懐かしい味」という声が聞かれました。

逸口香

大村・諫早の回でも紹介した一口香ですが、今回は佐賀の逸口香です。

塩田には、逸口香を専門で作っていらっしゃる楠田製菓本舗というお菓子屋さんがあります。今回は時間の都合で実店舗に行くことが出来なかったので、商品は後日入手しました。

佐賀県産小麦粉100%使用!

-大きさ比較-

長崎の一口香と大きさを比べてみたいと思います。
以前撮っておいた一口香の写真と並べて比較してみましょう。

うん、逸口香、大きいですね。測ってみたところ直径が約8cmありました。

-逸口香はなぜ空洞になるのか-

逸口香は、小麦と水飴で作った皮に、黒糖のあんを包んで焼いて作ります。
焼くと皮が膨らみ、黒糖は溶けて皮の内側に張り付くので中が空洞になるんだそうです。

-逸口香 食レポ-

大きさは違うけど、味はだいたい同じでしょー?と思って食べたところ…
この逸口香はこれまで食べたものと違いました。
すごくサックサクしてておいしいです。

また、逸口香はショウガで風味をつけてあることが多いのですが(この風味が独特で苦手という人もいるかも。好き嫌いが分かれると思います。)この逸口香にはショウガが使われていません。クセが無くて食べやすい味ですね。

わたし的には、これは今まで食べた中で一番の逸口香でした。

スタッフからも感想をもらいましたので載せておきます。

「一見ボリュームがあり硬そうな印象がありますが、生地が薄く中が空洞になっているため見た目に反したサクッとした食感があります。
そして、黒糖餡の薄い層による僅かな粘りのおかげでパサつきもなく、品の良い香りのがあるため緑茶に非常によく合います。」(浦川)

今回の紀行マップ

嬉野・塩田の紀行は石の彫刻や建造物が色々見れたことが印象的でした。

今回はやや駆け足でのまち巡りとなってしまいました。晩秋の日は暮れるのが早いですね…。

特に塩田は時間をかけてゆっくりと見て廻りたいと思った場所でした。
塩田の中心部から少し離れた場所になりますが、「志田焼の里博物館」という施設も面白そうなので、今度行く機会があれば見に行ってみたいです。

あと、嬉野の温泉湯豆腐を食べそこなったと嘆いていたら、チーフ川崎から「重曹を入れて豆腐を煮ると温泉湯豆腐ぽくなる」と教えてもらったので今度つくってみようと思います。

それではまた。

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