【連載】シュガーロード紀行-参-平戸

【連載】シュガーロード紀行-参-平戸

ごきげんよう よしだです。

この連載は、その昔 砂糖が運ばれていったことから「シュガーロード」とも呼ばれる長崎街道を辿りつつ、沿道に今も残る銘菓を中心にその土地ならではのお菓子を食べ歩こうという企画です。

バックナンバーはこちら → -壱- 長崎 -弐- 諫早・大村

今回は長崎街道からは少し離れて、平戸を訪れたいと思います。

平戸は日本で初めてポルトガル・イギリス・オランダとの国際貿易が行われた場所で、「西の都フィランド(FIRANDO)」とも呼ばれたそうです。

長崎より約20年先んじて開始された南蛮貿易により、いちはやく砂糖が入ってきた場所でもあるので、いってみれば「シュガーロードの本当のはじまりの場所」と言えるかもしれません。

平戸からは、江迎・佐々・佐世保・早岐を経て彼杵に至るルート(江迎筋)と、御厨・志佐・今福・鳴石を経て伊万里に至るルート(御厨筋)の2つの街道があり、それらは平戸往還もしくは平戸街道と呼ばれていました。

平戸藩と松浦氏について

日本の西の端に位置し、中国大陸とも近い位置にあった平戸は、古代より異国の文化が海を越えて入ってきた場所でした。

平戸島の北端にある田浦の港は遣唐使船が寄港した場所でもあり、平安時代には空海や最澄もここを経由して唐へ旅立っていきました。

鎌倉時代から明治維新まで平戸を治めたのが松浦氏です。その家系は平安時代までさかのぼることが出来ます。

松浦氏の系譜については諸説あるが、渡辺綱の子孫とするのが通説。中世には肥前・壱岐の水軍衆である松浦党をなした。

Wikipedia「松浦氏」

これは平戸城にあった展示物の一つで、松浦家の家系図です。

写真では見えづらいですが大きなパネル一杯に細かい文字で系図がびっしりと書き込んであります。なお、現在の松浦家のご当主は41代目になるそうです。

平戸と南蛮貿易

ポルトガル船がはじめて平戸にやってきたのは1550年(天文19年)ですが、これは中国人商人の手引きによるものだったそうです。

南蛮貿易が始まる以前から、松浦氏は既に中国との貿易によって多大な利益をあげていました。

ポルトガルとの交易は、キリスト教布教に絡むトラブルや、ポルトガル人船員と地元住民の間に殺傷事件が発生するなどで短期間で終了します。

ポルトガルの次にやってきたのはオランダとイギリスでしたが、イギリスは短期で平戸を撤退することになります。

これは当時のオランダ船を描いた絵。

オランダとの交易は比較的順調に継続し、平戸港には商館や貿易品を保管する倉庫も建てられます。

しかし、幕府の鎖国政策により1641年に商館は取り壊しを命じられ、交易の場所も平戸から長崎の出島へと移されました。

平戸がヨーロッパの国々と交流を持ったのは約90年ほどの間でした。

茶道 鎮信流と百菓之図

鎮信流

江戸時代初期に松浦家第29代目 鎮信(しげのぶ)公によって開かれた茶道の流派で、松浦家で代々引き継がれて現在に至っています。鎮信流は “ちんしんりゅう”と読みます。

平戸藩には鎮信流が興る以前から中国や南蛮から伝わった様々なお菓子がありました。

お茶の席にはお菓子が欠かせませんが、藩内で茶道が盛んに行われることにより、相乗効果で平戸のお菓子も洗練の度合いを増し、発展していったと考えられます。

百菓之図

松浦家に伝わる「百菓之図」は、平戸藩のお菓子 百種類の製法と絵をまとめた、いわばお菓子の図鑑です。お菓子はそれぞれ外観と半分に切った断面図が鮮やかな色合いで描かれています。

百菓之図は数年がかりで作られ、完成したのは1854年(弘化二年)だそうです。この時お菓子の製作にあたったのが藩の御菓子司、蔦屋と堺屋でした。

堺屋というお菓子屋さんは現存しないそうですが、蔦屋は今もお店があります。

百菓之図に収録されたお菓子は、そのすべてが現在まで作り続けられてきたわけではなく、もう作られなくなってしまったものも数多くありましたが、平戸では近年そういったお菓子の復元も行われています。

これは閑雲亭にあった「百菓之図 復元菓子」のパンフレット。
表紙には百菓之図の中から「烏羽玉(うばたま)」の絵が使用されています。

カスドース

平戸のお菓子の代表格と言えるのがカスドースです。

ポルトガルから伝来したと考えられ、砂糖と卵黄をふんだんに使います。

その作り方は、まずカステラを焼き、焼き色のついた部分を全部切り落としてマッチ箱くらいの大きさに切りそろえます。
それを溶いた卵黄の液に浸し、てんぷらの要領で沸騰した糖蜜で揚げ、最後にグラニュー糖をまぶして出来上がりです。

「肥前の菓子」のカスドースについての記述を見ると、江戸時代のあいだはお殿様の為の”御止(おとめ)菓子” とされ、明治維新までは一般の人の口に入ることがなかったとあります。

また、平戸は船を使って海を渡らなければ行けない島でした。今では平戸大橋がかかっているので容易に行き来できますが、この橋が開通したのは昭和52年です。

同じ頃にポルトガルから伝来したお菓子なのに、全国的知名度のある長崎のカステラと比べると平戸のカスドースがあまり知られていないのは、こういった事情も関係しているようです。

平戸へ

9月某日、平戸へやってまいりました。

福岡から平戸へ行く方法は何通りかありますが、今回はJRとバスを使用しました。

博多から特急みどりで佐世保まで約2時間、佐世保からは西肥バスの半急行で約1時間半で平戸に到着します。

終点の平戸桟橋で降りると、すぐ目の前に海と平戸城が見えます。

これは平戸港交流広場に立つ「じゃがたら娘像」。

松浦史料博物館

まず訪れたのは松浦史料博物館です。

ここは明治時代に松浦家の私邸として作られた「鶴ヶ峯邸」という建物を史料館にしたもので、昭和30年に開館しました。

入り口に掲げられているのはオランダ国旗とイギリス国旗です。

展示物は、松浦家に代々伝わる武具や茶道具、書物や絵画などさまざまです。

江戸時代の参勤交代の道のりを詳細に描いた絵図や伊能忠敬が制作した平戸の地図もありました。

平戸藩が参勤交代を行う際は、平戸を出発し、玄界灘、瀬戸内海を通って大阪までの海上を船で行き、大阪の伏見に上陸後は陸路で江戸へ向かったそうです。
のちに陸路のみでの参勤交代が行われるようになりましたが、その際には平戸街道、長崎街道が使われました。

その他に展示物でちょっと面白いなと思ったのは、甲冑の横に飾ってあった大きな馬印です。球を3つ縦に連ねてあって、見た目がまるで巨大な串団子のようでした。

そういえば松浦氏の家紋は三ツ星というものなのですが、これも見方によってはお団子を3つ並べたようにも見えます。

(※ 実際はオリオン座の中央に並ぶ3つの星をもとに作られた家紋だそうです。)

展示物を見終わって、売店で百菓之図や平戸のお菓子についての本はあるかお尋ねしたところ、「こういったものがあります」と教えていただいたので、「江戸時代の平戸の菓子」という本と「東西百菓之図」のパンフレットを購入しました。

松浦史料博物館

閑雲亭

史料博物館の敷地内に、閑雲亭という茶室があります。

ここは平戸藩最後の藩主であり、明治時代 鎮信流の振興にもつとめた松浦 詮(あきら)公により建てられた草庵風の茶室です。

屋根は葭葺き、釘は一切使用しない工法で建てられていて、鎮信流のお稽古場にもなっているそうです。

この日はまだ残暑の厳しい日だったのですが、この茶室の中はとても涼しくて快適だったのが印象に残っています。

茶室では、鎮信流で点てられたお茶と、百菓之図より復元したお菓子を頂くことができます。

私は茶道の心得がないので「お作法がよくわからないんですがいいでしょうか」とお聞きしたところ、「お好きなように飲んで頂いていいんですよ」とのことで、ちょっと安心しました。

茶室の中にお茶の頂き方の解説書きもありました。

鎮信流の作法ではお椀は回さず、まずお茶を一口頂いて、次にお菓子を頂き、その後またお茶を頂く、という感じだそうです。

お菓子はカスドースと烏羽玉から選ぶことができます。
今回は烏羽玉を頂くことにしました。

烏羽玉は、黒胡麻の入った餡を求肥で包み、表面に和三盆をたっぷりまぶしたお菓子です。

和三盆はとてもきめが細かく、口に入れるとすっと溶けるかんじです。お茶によく合う上品な甘みでした。

今回平戸で食べたお菓子の中では、この鳥羽玉が一番美味しかった気がします。

平戸散策

平戸オランダ商館

約400年前にオランダ商館があった同じ場所に2011年に復元された建物です。

中に入ると木材のいい香りがします。館内にはオランダとの交易に関するものを中心に史料が展示されています。

史料館としてだけでなく、地元の催事の会場としても使われているようです。

ロビーにあった来館記念スタンプがかわいい絵柄だったので、そばに置いてあったイベントのちらしに押して持ち帰りました。

平戸城(亀岡城)

現在ある平戸城は昭和に入り建てられた復元天守閣ですが、このお城は長い歴史の間で様々な紆余曲折がありました。

松浦藩二十六代 鎮信は 慶長四年 亀岡に「日の岳城(ひのたけじょう)」を築いた。
しかし徳川家康は、豊臣秀吉と親交が深かった松浦家に疑いのまなざしを向けた。鎮信はその疑いを払うため「日の岳城」を焼却、平戸六万一千七〇〇石と民を守った。

以来約九十年間を「御舘(おたち)」で過ごすが、三十代 棟(たかし)となって一七〇四年「平戸城」の再築を開始、一七一八年完成した。

明治四年廃城となり、昭和三十七年平戸市により復元された。

平戸城のパンフレットより引用

※松浦家の歴代のお殿様の中には、隠居後に「鎮信」という名に改名した人物が複数います。上記に名前のある鎮信は、鎮信流の開祖の29代目鎮信の曽祖父にあたる人物です。

これはパネルで展示してあった江戸時代の図面。

平戸城は山鹿素行のひらいた兵学、山鹿流に基づいて造られた日本で唯一の城でもあるそうです。

天守閣の内部は古代から近現代までの平戸に関する史料が展示されていて、最上階からは平戸市街が一望できます。

蔦屋

平戸の老舗のお菓子屋さんを訪れてみたいと思います。

蔦屋の創業は1502年(文亀2年)、現在も営業する九州のお菓子屋さんとしては創業が最も古いお店であり、今のご店主は24代目になるそうです。

「按針の館」と書かれた看板も掛かっていますが、ここは、日本に漂着し のちに徳川家康の外交顧問にもなったイギリス人 三浦按針(ウィリアム・アダムス)が住んでいた場所でもあります。

按針の館 -平戸観光協会「達人Navi平戸」-

この按針の館のすぐ近くにはイギリス商館跡や按針終焉の場所もあり、どちらも今は石碑が建てられています。

蔦屋さんでは、カスドースの他にも 花かすてらなどの復元菓子や季節の和菓子を販売されています。まだ暑い時期だったので店頭には麩まんじゅうも並んでいました。

(後で知りましたが閑雲亭で頂いた烏羽玉も蔦屋さんで造られたものだったようです。)

お店で購入したお菓子は、売り場の奥にあるお座敷でコーヒーと一緒に頂くこともできます。お座敷は中庭に面していて、テーブルにはお菓子の製造に使う木型が飾ってありました。

ここではカスドースを頂くことにします。

卵と砂糖がたっぷりなのでとても甘くて濃厚な味です。そのためお抹茶やコーヒーなどの少し苦みのある飲み物と頂くと一層美味しい気がします。

お土産で買って帰ったカスドースは、オーブントースターで軽く焦げ色がつくまで焼いて食べてみましたが、これもまた美味しかったです。

元祖カスドースの平戸蔦屋

熊屋

もう一件訪れたお菓子屋さんは熊屋さんです。

こちらは1762年(宝暦12年)の創業です。
お店の看板や暖簾には臼と杵を図案化した模様が描かれています。

ここでは「牛蒡餅」を購入しました。

平戸藩の藩主鎮信公を始祖とする茶道鎮信流の茶菓子として、又一般町家の人々も慶事・法事の際には、必ずと言っていい程牛蒡餅を「お配り菓子」に使うという風習があり、平戸にのみ昔のままの姿で残されて来たものでございます。

尚、名称の由来は、昔は黒砂糖のみを使用し、長いままを茶席で亭主が客席にあわせて、切って供していたもので、色合い形状が牛蒡に似ていたからだと伝えられております。

熊屋HP「牛蒡餅」より引用 )

説明にあるように、見た目が牛蒡っぽいためにこの名前が付けられたようです。

「江戸時代の平戸の菓子」を読むと、百菓之図では「山椒羹」という名で記されているお菓子が現在の牛蒡餅に該当する製法であること、また昔は、武家では縁起物として新年に牛蒡を贈りあうならわしもあったことが書かれていました。

牛蒡餅の原料は 上用粉(お米の粉)、三温糖、黒糖、芥子の実など。

古くからある牛蒡餅は茶色や白ですが、今回買った「彩りあわせ本牛蒡餅」という商品には抹茶の入った緑色の牛蒡餅やピンク色の牛蒡餅も入っていました。

あっさりとしたやさしい味わいのお菓子です。

牛蒡餅本舗 熊屋

東西百菓之図

平戸では伝統的なお菓子を継承・復活させるだけでなく、まったく新しいお菓子を創造する試みも行われています。

「東西百菓之図」は、オランダ人デザイナーが平戸の風土から受けたインスピレーションを基に、平戸の菓子職人の手によってお菓子として表現しようというものです。

プロジェクトの内容はWEBサイトにもまとめてあります。


Sweet Hirado -東西百菓之図 お菓子の島 平戸-

熊屋さんにお伺いした際にこのお菓子を購入できるか尋ねてみたところ、最低でも1週間前からの予約が必要とのことでした。

その場で購入することは出来なかったのですが、「福岡にも支店があるのでそちらでもご注文やお受け取りができますよ」と教えていただいたので、福岡に戻ったあと改めて注文することにしました。

熊屋さんの福岡店は、赤坂にある「熊久」というお店になります。

菓匠熊久

今回は生菓子3種類を注文しました。

写真奥から「3つの矢」「四人漕ぎのボート」「墨で染めた織物」。

白餡・小豆・寒天など、ベースは和の素材だけど、バニラやスパイス等、通常の和菓子には使われることのないような素材も組み合わされて1つのお菓子になっています。

この3つの中では、ピスタチオに柑橘系の風味をあわせた「四人漕ぎのボート」が特に美味しく感じました。

見た目も1つ1つがとても個性的です。
これは和菓子でもあるけど、その枠に収まらない、また別の種類の新しいお菓子だと思いました。

東西百菓之図のお菓子は全部で24種類あり、お店での注文の他に先述のWebサイトでもお取り寄せができるようです。

今回の紀行マップ

市の中心部には今回訪れた以外にも史跡が色々あり、距離的にも近いので徒歩でも楽に見て回れます。

平戸は初めて訪れましたが、お菓子だけでなく食べ物も美味しいし、海も綺麗で温泉もあるので、休日のお出かけ先としても是非お勧めしたいです。

これは港のすぐそばにある漁協直営のお店「旬鮮館」の海鮮丼。新鮮なお刺身がたくさんのっていました。

中心部だけでなく市の全域にいろいろな観光スポットがありますので、詳しくは平戸市の観光情報サイトもご覧ください。

魅力あふれる平戸の観光情報 ほっこり Hirado

ところでこの連載、開始から4カ月が過ぎましたが未だに長崎県から出れていません。次回は佐賀県に入ることができるのか…。

それではまた。

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