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by よしだ よしだ

近代化産業遺産 志免鉱業所竪坑櫓

近代化産業遺産 志免鉱業所竪坑櫓

ごきげんよう よしだです。

最近「明治日本の産業革命遺産」が話題になっていますね。

福岡県からも八幡製鉄所、三池炭鉱、三池港などの名前があがっています。

今回の世界遺産候補に入ってこそいませんが、福岡市の隣にある志免町にも、「近代化産業遺産」として 国の重要文化財にも指定されている貴重な建造物があります。

それが「志免鉱業所竪坑櫓」(しめこうぎょうしょたてこうろ)です。

●竪坑櫓を観に行く

JRを利用する場合は、須恵駅が最寄駅になります。

【博多駅からのアクセスの場合】
福北ゆたか線で長者原駅まで、
長者原駅で香椎線に乗り換えて須恵駅に向かいます。
(福岡市内の方は車で行ったほうが早いですね。)

須恵駅に到着。

001実は駅を出た時点で既にちょっと見えている

駅からしばらく歩くと、前方に大きく竪坑櫓が見えてきます。

002住宅地の先にそびえ立つ異世界的な構造物

到着。

003

現在の竪坑櫓の周辺一帯は、グラウンドや公園が広がり、志免町民のいこいの場となっています。周りに高い建物がないので、竪坑櫓が一層目立っています。

ではさっそく竪坑櫓を見てみましょう。

004
前を歩いている人と比較すると大きさがわかりやすいかも

地下600mの深さから石炭を運び出すために作られた櫓で、強固な鉄筋コンクリート製の建物上部に巨大な滑車が設置されていました。

高さは47.6m、10階建てビルに匹敵する高さです。間近で見ると大きさに圧倒されます。

周囲は柵で囲まれているので建物に入ることは出来ません。

ここからは竪坑櫓のグラビア() をしばしお楽しみ下さい。

g01 g02 g03

建物上部が不規則な形をしているため、見る角度によって表情に変化が出るのも この竪坑櫓の魅力です。

完成したのは太平洋戦争終戦前の1943年(昭和18年)。70年以上経過しているので、コンクリートの外壁には傷みも多いです。

竪坑櫓のすぐそばに、他にも柵で囲まれたものがいくつかあります。

●第五坑西側坑口 (だいごこうにしがわこうぐち)
5_01
草が生えて一層増す荒涼感5_02

●第八坑連卸坑口(だいはちこうつれおろしこうぐち)
8_01
入口を覆う柵の赤錆でさらに増す廃墟感
8_02

これらの坑口と竪坑櫓は、地下の坑道でつながっていました。

坑口も竪坑櫓と同じく石炭を地下から搬出するためのものですが、竪坑がエレベーター式に上に引き上げて搬出するのに対し、坑口はベルトコンベアでエスカレーターのように搬出する仕組みになっていました。

竪坑櫓の柵にこんなものが。

010

フライヤーや映像もあるとのことで竪坑櫓のすぐそばにある志免町の施設「シーメイト」に行ってみました。

シーメイト http://www.town.shime.lg.jp/site/shimate/
休館日 毎週月曜日(月曜日が休日の場合はその翌日)・年末年始

映像は受付の職員さんに声をかけると見せてもらえました。

テロップに「製作:志免ビデオ同好会」とあり、地元の有志の方々が20年?くらい前に制作したもののようです。

立入ることの出来ない櫓内の様子を詳しく見ることができる映像でした。

●竪坑櫓の役割と歴史

以下はシーメイトでもらったフライヤーの文章です。

竪坑櫓の概要が大変わかりやすくまとめてあるので、ちょっと長いですがそのまま引用させていただきます。

”「竪坑櫓」は、働く人と掘った石炭を昇降させる機械を設置した建物です。
この建物と垂直に掘られた「竪坑」を使って、地下600mもの深さにある石炭の層へ移動することが出来ました。

建物の形はワインディングタワーエレベータータイプ(塔櫓捲式とうやぐらまきがた)といいます。それは、櫓と巻き上げる機械がひとつになった、エレベーターのようなしくみです。(中略)

北部九州には数多くの炭田が作られましたが、これは、日本が近代国家に生まれ変わるために、エネルギーとして使う石炭が必要だったためです。なかでも、ここ糟屋炭田は質の良い石炭があり、海軍が1889(明治22)年に新原採炭所(須恵町)をつくり、戦艦などの燃料となる石炭を掘りだしたのです。志免町には海軍採炭所第五抗として、1906(明治39)年に石炭の採掘が始まりました。

海軍採炭所は海軍燃料廠採炭部と名前を変え、それまでのような地下の浅いところにある石炭の層だけでなく、より深い総の石炭を採掘する計画をします。石炭を大量に、しかも安定して生産することは、軍事上大変に重要なことでしたから、当時「東洋一」といわれた竪坑の建設が進められ、櫓が完成しました。

第二次世界大戦後、日本国有鉄道志免鉱業所となります。戦前の目的とは違って、国民の大切な交通機関であった蒸気機関車の燃料となる石炭を採掘し続けました。しかし、石油などを使うようになったため(エネルギー革命)、1964(昭和39)年に閉山をむかえました。

開坑から閉山まで国営であり続けた炭鉱は日本では一ケ所で、この櫓は志免町が日本の近代化を支えた大切な場所であったことを物語っています。そして櫓は、我が国に現存する最大規模の近代竪坑櫓として、国の重要文化財に指定されました。”

(志免町教育委員会)

海軍管轄時代の古い記録については、火災による資料の消失等で詳細がわからなくなってしまったこともあるそうです。

今では町が主体となって遺構全体の保全や、歴史資料室で資料の収集・展示も行われているようです。

志免町HP
【志免町の歴史・文化財】 http://www.town.shime.lg.jp/site/bunkazai/
【歴史資料室】 http://www.town.shime.lg.jp/site/bunkazai/jyosetsuten.html

歴史資料室 開館時間 9:00~17:00
休館日 毎週月曜日(月曜日が休日の場合はその翌日)・年末年始

●付近の山(実はボタ山)

竪坑櫓の遺構一帯と道路を挟んだ向かい側には山があります。

005

今は緑に覆われていることもあり 一見ただの山に見えるのですが、実はこれらはボタ山です。(ボタとは、質が悪く石炭としては使えないため廃棄される石くずのことです。)

これだけのボタが堆積してることを見ても、当時掘り出された石炭がいかに大量だったかがうかがえますね。

●駅の跡がそのまま公園に

志免鉱業所から掘り出した石炭は、すぐそばの勝田線志免駅から積み出されていきました。

勝田線は1985年に廃線となってしまいますが、志免駅の跡地は後に公園となりました。それが志免鉄道記念公園です。

駅の遺構がそのまま公園になっている場所は珍しいですね。

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線路や踏切の警報器、プラットホームもそのまま残ってる 写真奥のベンチは駅だった頃からの物?

●過ぎ去った時代を伝えるもの

志免竪坑櫓には不思議な魅力があります。

石炭を運び出すという、極めて実用的な目的のためだけにつくられた建造物にもかかわらず、その直線のみで構成された形状には、独特な造形美さえも感じられます。

ブログ冒頭のセピア色の写真は、竪坑櫓そばにある説明の立て看板に載っていた稼働当時の写真です。(国鉄時代・昭和30年代の様子とのこと)

現在の竪坑櫓一帯の景色と比べると、その変貌ぶりにも驚かされます。

役目を終えた時点で、もしかしたら取り壊されていたかもしれない建物が、こうして今も保存されていることはすごく幸運なことだと思います。

既に老朽化が進んでいるため 今後の保全も簡単ではないと思いますが、過去の時代を伝えるものとして、長く残ってもらいたい遺構です。

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鉄道記念公園からの竪坑櫓

 

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