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by よしだ よしだ

【連載】北海道古今菓子探訪 -壱- 札幌

【連載】北海道古今菓子探訪 -壱- 札幌

ごきげんよう よしだです。

前回より、九州各地で時代の新旧にかかわらずその土地の人々に親しまれている地方色豊かなお菓子を探訪する連載「九州古今菓子探訪」を開始しましたが、今回は九州をちょっと離れて、北海道の菓子探訪をお送りしたいと思います。

九州古今菓子探訪 バックナンバーはこちら -壱- 熊本

六花亭に行きたい

数年前にシュガーロードを巡る旅を始めて以来、お菓子を食べて楽しむだけでなく、お菓子が生まれた背景や、その土地や歴史との関係を考察することにも興味が出てきました。

地元九州のお菓子の他に、以前から特に興味を惹かれていたのがお菓子王国北海道、
そして北海道を代表するお菓子メーカー、六花亭です。

(六花亭のなりたちや歴史については、次回の帯広・中札内の紀行で詳しく触れたいと思います。)

六花亭といえばマルセイバターサンド。近所で北海道物産展が開催されていたら毎回これを買っている気がします。

今年に入り北海道旅行を思い立ったので、この機会に六花亭の本店に行ってみることにしました。

旅行前の準備で下調べをしていた際、札幌や六花亭が隣県佐賀の或る人物とも接点があることを知ります。

島義勇


その人物が、島義勇(しまよしたけ)です。
まずは略歴をご紹介。(以下 佐賀市観光協会のポータルサイト、サガバイドットコムより引用させていただきます。)

佐賀藩士島市郎右衛門の長男として佐賀城下精(しらげ)小路に生まれる。9歳の頃より藩校「弘道館」に学び、23歳で卒業。(中略)枝吉神陽の「義祭同盟」にも創設期から参加し、そこで江藤新平や大木喬任とも出会っている。

1856年、直正の信頼が厚かった島はその命で、当時の未開拓地であった蝦夷地(現在の北海道)の探検に随行。厳しい寒さの中、約2年に渡って北の大地を歩き続け、その詳しい調査結果を記した「入北記」を残している。

明治新政府では直正が蝦夷開拓督務となると、島はその経歴を買われ開拓使判官に就任。北海道開拓の街づくりを任される。

札幌を中心とした街づくりを進めるも、予算による衝突で志半ばで解任。後に秋田県権令となるも、ここでも中央政府とぶつかりまたも解任。
後の佐賀の役では憂国党の党首となって戦うも敗れ、53年の理想に燃えた生涯を閉じた。

島義勇 ~北の大地を切り拓いた開拓者~

その名前は何となく聞いたことがある、程度の認識だった私が、島義勇について知るきっかけとなったのが、昨年2018年に開催された「肥前さが幕末維新博覧会」です。

幕末から明治にかけて活躍した佐賀の偉人たちも大きく取り上げられていて、そこで島義勇の生涯と功績を知ったのでした。


鍋島直正公についても、佐賀藩主としての功績は知っていいましたが開拓使初代長官も務めていたことは初めて知りました。
遠い北の大地でまちづくりまで行っていた明治期の佐賀人、すごい…。

同年の11月には、明治維新と北海道命名から150年目にあたるのを記念し、佐賀城公園の一角に島の銅像も建立されています。

こちらがその銅像。

これは直正公の命を受け蝦夷地探検に出向く若き日の島の姿を現したもので、像の顔は北海道の方角を向いているそうです。
銅像の建立に合わせて近くの交差点も「島義勇像前」という名前になったとか。
六花亭には島義勇にちなんだお菓子があり、しかもそれは札幌市内の或る一店舗でのみ食べることが出来るとのこと。

これは北海道に行ったら是非食べなければ…!

というわけで、当初計画していた六花亭とその関連施設めぐりにあわせて、島義勇ゆかりの場所も訪ねることにしました。

北海道へ

9月某日 北海道へ向かいます。今回の旅行は3泊4日のスケジュールです。

福岡から飛行機で約2時間、新千歳空港に到着しました。

新千歳はブリッジや到着口やら至る所にROYCEの大きな広告があって、降り立った瞬間から「北のお菓子王国に来た!」って感じです。

空港からは直通の快速エアポートに乗って約1時間ほどで札幌に到着です。

札幌の建物には、星をかたどった意匠や星の装飾が施されているのをよく見かけます。札幌駅の大時計の文字盤にも星の模様が。

駅前から見える距離に六花亭札幌本店のビルがありますが、まずは街歩きです。

札幌で島義勇の足跡をたどる

札幌市役所

最初に向かうのは札幌市役所です。札幌市役所のロビーには、島義勇の銅像が設置されています。

これは開拓判官として赴任してきた島がコタンベツの丘から札幌をのぞむ姿を表現したものだそうで、足元にはその時に詠んだといわれる漢詩が刻まれています。

漢詩を解説した説明書きもありました。(とっても親切)

河水遠く流れ山隅に峙つ 平原千里の地 膏腴
四通八達宜しく府を開くべし 他日五州第一の都

書き下し文になるとだいぶ意味が分かりやすくなりますね。

詩の最後の一節、”他日五州第一の都”は、
「いつの日か(ここが)五州=世界 第一の都になるだろう」 という意味です。

見渡す限りの原野だった札幌を眺めながらも、島の心の中にはここが大きな都市となり繁栄する姿がはっきりと描かれていたのでしょう。


この記事を書いている途中で、ふと気になって札幌市の人口を調べてみました。

これはgoogleの検索結果で一番めに表示されたグラフ。
データは2015年時点とちょっと古いですが、札幌市は福岡市よりも人口が多い都市なのですね…。
2019年9月の時点では札幌市の人口は196万人だそうです。

世界第一、とまではいきませんが、日本国内では三大都市圏についで人口の多い都市に成長した今の札幌を見たら、島自身もきっと驚くのではないでしょうか。


これは像のそばに置いてあった「開拓の群像」という冊子。職員の方にお伺いすると無料で配布されているとのことで、1冊頂いて帰りました。

この冊子には、古くは中世から明治・大正まで、北海道の開拓に関わった人物69名が紹介されています。

最上徳内・近藤重蔵・伊能忠敬・間宮林蔵・松浦武四郎・黒田清隆 etc…

本格的な北海道開拓が始まるのは明治2年からです。
開拓がはじまってからの数々の困難とそれを乗り越えてきた開拓者の功績は勿論ですが、それ以前の”蝦夷地”と呼ばれていた頃から、日本各地からやって来た様々な人たちが、探検・調査を行ったり測量や地図作りを行ったり、いわば開拓の足がかりとなる作業を積み重ねていたことも知ることが出来ました。

創成川と創成橋

札幌のまちづくりの始点となった場所を見に行きたいと思います。

札幌の中心部を流れる創成川と、そこに架かる創成橋です。

創成川(そうせいがわ)は、北海道札幌市の中心を流れる石狩川水系伏籠川支流の一級河川に分類される人工河川である。札幌市を東西に画する起点となっている。
江戸時代に「大友堀」として作られ、1874年(明治7年)に「創成川」と改名された。長さ14.2km、流域面積は19.0K㎡ある。

Wikipedia「創成川」

札幌都心部の区画は創成橋が東西南北の基点である。
これは開拓使による札幌本府建設に伴い、開拓判官・島義勇が橋の東のたもとから南北に東創成通(現在の創成川通)、東西に渡島通(現在の南1条通)を設けて碁盤の目状に区画したことによる。
そのため、橋に隣接して「札幌開拓の祖」とも言われる大友亀太郎像や札幌建設の地碑が設置されている。
石造りのアーチ橋は、日本橋(東京都)ちなんで「札幌の日本橋」と呼ばれることがある。

Wikipedia「創成橋」

大友堀が作られたのが慶応2年(1866年)、島義勇が札幌に赴任するのが明治2年(1869年)です。

島は創成川と創成橋を基準に、整然とした碁盤の目状のまちづくりを行いました。
このとき、北側の官用地と南側の民用地を区分する広い空閑地を設けて、まちの交通・防火対策にも考慮しています。
この空閑地が、のちに札幌の美しい景観を象徴する大通公園となりました。


創成川の前身、大友堀を作ったのが大友亀太郎です。
これは創成橋たもとの大友亀太郎像。像のそばにある白っぽい石柱は、昔の創成橋の欄干です。


これが札幌建設の地碑。

北海道里程元標の石碑もありました。

ここが札幌のはじまりの場所であることを思えば、確かに里程元標もここに建てるのが一番ふさわしいですね。

橋の近くには、札幌のまちの歴史に関する写真も展示されています。

ガラス越しに撮ったものなので少し見えづらいですが、これは明治4年頃の創成川付近を撮影した写真。人家もまばらでまさに開拓のはじまりといった感じです。

現在の創成川付近の街並みと見比べると、川が流れる様子は今も昔も変わらないものの、周囲の風景は150年後にはこんなにも変わったのかと感慨深くなります。

北海道神宮

札幌での開拓を開始するにあたり、まず最初に行われたのが開拓三神を祀る神社を創建することでした。その神社が北海道神宮です。(創建当時は札幌神社と呼ばれていました。)

開拓の安全を祈り、厳しい気候の原野を切り開く人たちの心の拠り所ともなる場所を造る必要があったのでしょう。

北海道神宮は今年の9月1日で、ちょうど御鎮斎百五十周年を迎えるそうです。


神社へ向かう参道は木々に囲まれていて、途中、野生のリスを何匹も見かけました。

御祭神の開拓三神とは、
大国魂神(おおくにたまのかみ)
大那牟遅神(おおなむちのかみ)
少彦名神(すくなひこなのかみ)、いずれも国づくりの神様です。

のちに昭和に入って明治天皇も増祀されることになります。


この境内にも島義勇の像があります。本殿の横の木立の中にその像は立っていました。

佐賀や札幌市役所の像とは違った趣きで、この像は烏帽子を被り神官のような装束で何だか神々しい雰囲気です。
これは社殿を創営する場所をここに定めた時の姿を表現しているとのこと。

(開拓三神の御神体は、開拓使一行とともに船で東京から函館まで運ばれますが、函館からの陸路は島自身が背中にしょって運んだそうです。)

この像は島の没後百年目にあたる昭和49年に建立されたもので、現在3体ある島の銅像の中でも最初に作られた像です。

本殿へと続く参道の道沿いには桜並木があり、春には桜の名所として大変賑わうとのこと。
この桜並木は佐賀の役で没した島を偲んで桜の苗木を植えたのが始まりで、「島桜」とも呼ばれているそうです。

こちらは開拓神社。
島や鍋島直正公など、北海道の開拓に携わった功労者37柱が祀られています。

神宮の境内から少し離れた場所になりますが、円山公園の中には島判官紀功碑も建てられています。
昭和4年に建立されたこの碑には、開拓判官としての島の功績を讃える文章が漢文で刻まれています。

写真では伝わりにくいかもしれませんが、この紀功碑、見上げるほどに巨大なのです。(横から見た写真だと少しは伝わるだろうか…この圧倒的モノリス感…。)

北海道市役所の銅像の部分で触れた、島が漢詩を詠んだとされる”コタンベツの丘”は、この碑の付近ではないか、とも言われています。

北海道神宮

六花亭神宮茶屋店の「判官さま」


六花亭の神宮茶屋店にやってきました。
神宮茶屋店は大きな店舗ではありませんが、店頭に並ぶお菓子も和菓子が中心、和風の建物ともあいまってとても風情のあるお店です。

ここでは島義勇にちなんだお菓子、「判官さま」が売られています。

「判官さま」はそば粉入りのお餅で粒あんを包んだ焼き餅。店頭で焼かれているので焼きたてを食べることができます。お値段は1個100円。

お店には座席やセルフサービスのお茶も用意されているので、その場で頂きました。

その愛称を冠したお菓子まであることからも、島義勇が札幌の人たちにとても親しまれていることがうかがえます。

六花文庫

六花文庫は六花亭が運営する図書館です。この図書館はちょっと特殊で、食に関する本ばかりが集められているそうです。

この六花文庫は、存在を知って以来数年前からずっと訪れてみたいと思っていた憧れの場所でした。

六花文庫があるのは札幌市営地下鉄南北線の終点、真駒内。
地下鉄だけど真駒内付近の路線は地上に出て、木々に囲まれた中を走り抜けてゆく素敵な車窓風景が楽しめます。

駅のそばの広場にはこんなモニュメントがありました。
真駒内は1972年に開催された札幌オリンピックのメイン会場があった場所なんだそうです。

駅から歩くこと約15分、六花文庫にたどり着きました。
蔦に覆われた赤い屋根のかわいい建物です。


が、入り口には「催事のため本日は特別休館日」の告知が…。

一瞬膝から崩れ落ちそうになりましたが、ここで本を読むのはまた次回来た時の楽しみにとっておこうと思い直し、建物を写真に収めて真駒内をあとにしました。

六花亭 札幌本店

真駒内から市街中心部に戻ってきました。
最後は六花亭札幌本店を訪れます。

札幌駅からも見えていたあのビル、店舗はもちろん喫茶室、ギャラリー、さらには音楽ホールまである複合施設です。

2階の喫茶室へ。
座席におかれているのは六花亭の包装紙と同じ柄のクッション。

ここでは喫茶室だけでしか食べられないお菓子や、ピザなどの軽食も提供されています。

こちらはアールグレイ風味のチーズケーキ。
六花亭オリジナルの絵柄の入った食器もかわいいです。

ギャラリーでは「坂本直行展」が開催されていました。
展示の副題に”花柄包装紙の花々”とあるように、六花亭の包装紙に使用されている花の絵を描いたのが彼です。

坂本龍馬の子孫にあたる人物で、画家であり、彼自身が開拓民でもありました。

会場には包装紙のデザインの原案図も展示されていました。
色とりどりに描いた花のモチーフを一つ一つ切り抜き、コラージュで構築する手法で作られていたのが興味深かったです。

福岡出身の人物にゆかりのお菓子も

六花亭ではこんなお菓子も見つけました。

「いつか来た道」
アカシアの蜂蜜やマルメロのゼリーが入った甘酸っぱいクリームをパイに挟んだお菓子です。

パッケージには福岡の柳川出身の作家、北原白秋による「この道」と、詞の中にも登場する札幌時計台とアカシアの絵が描かれています。

Wikipedia「この道」のページを見るとこう書かれていました。

歌詞には、北原白秋が晩年に旅行した北海道(1-2番)と、母の実家である熊本県南関町から柳川まで(3-4番)の道の情景が歌い込まれている。

「この道」には1つの歌の中に様々な土地の情景が歌いこまれていたのですね。
六花亭のお菓子がきっかけで、札幌と柳川をつなぐ意外な接点も知ることが出来ました。

今回の紀行マップ

北海道編は1回の連載にするつもりでしたが、書き出してみると色々と取り上げることが多かった為、今回は前半の札幌での紀行のみをまとめました。

地元である佐賀の人たちの間では知られているのかもしれませんが、九州でもそれ以外の県の人だと「札幌のまちづくりを行ったのは佐賀の人だった」ということは殆ど知らない気がするので、島義勇とその功績についてはもっと多くの人に知られるようになるといいなぁと思います。

(「島義勇伝」は、漫画だから手軽に読めそう!という理由で旅行前に予習として読んだのですが、想像以上のアツい内容で感動してしまいました…。札幌の始まりや初期開拓使について知る際にもこの本はおすすめです。)
漫画「島義勇伝」

次回は旅の後半、六花亭創業の地である帯広と中札内に向かいます。
それではまた。

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