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by よしだ よしだ

【連載】シュガーロード紀行 -拾- 小倉

【連載】シュガーロード紀行 -拾- 小倉

ごきげんよう よしだです。

この連載は、その昔 砂糖が運ばれていったことから「シュガーロード」とも呼ばれる長崎街道を辿りつつ、沿道に今も残る銘菓を中心にその土地ならではのお菓子を食べ歩こうという企画です。

長崎からスタートしたシュガーロードをたどる旅、今回はいよいよ終点の小倉を訪れます。

小倉城

春先の某日、小倉にやってきました。
まずは小倉のシンボル、小倉城を訪れたいと思います。

小倉に最初に城を築いたのは戦国時代に中国地方を支配していた毛利氏です。
関ヶ原の戦いの後、この地の領主となった細川忠興によって天守閣を持つ小倉城が築城されました。
天守閣の最上階が出っ張った「唐造」という珍しい構造になっています。

細川氏はこの後肥後熊本に配置替え、代わって譜代大名の小笠原氏が藩主となり以後幕末まで小笠原氏がこの地を治めます。
(本州への接続地・九州の要でもあったこの場所を譜代大名に守らせたいという幕府の思惑があった為らしいです。)

天守閣は天保年間に火災により焼失、その後幕末の長州征討の際に小笠原氏自らが城を燃やしてしまいました。

現在の天守閣は昭和30年代に再建されたものです。城の内部は細川氏・小笠原氏や小倉の歴史に関する史料が展示されています。

城内には小倉城庭園や八坂神社もあり、散策にもおすすめです。

常盤橋

小倉城のすぐそば、市街中心を流れる紫川に架かるのが常盤橋、ここが長崎街道の起終点です。

1611年、筑前六宿が整備された。 遅くとも1624年9月までには、橋が架けられた(細川藩日帳)。

当初から幕末まで大橋と呼ばれ、元禄からは常盤橋とも呼ばれるようになった。参勤交代や外国文物・産品の往来のほかに、武士が多く住む西曲輪と町人が多く住む東曲輪を結ぶ橋として、上流にある豊後橋と共に使われた。

明治時代、県の直轄管理(1881年)となり、鉄橋(1889年)となったが、上流に勝山橋、紫川橋ができると、その役割は小さくなっていった。

Wikipedia「常盤橋」

現在の橋は1995年にかけ替えられたものだそうですが、橋の西岸のたもとには江戸時代の橋で橋脚に使われていた石も置いてあります。

昔の荷揚げ場も復元されています。

常盤橋は伊能忠敬の九州における測量の開始地点でもあったことから、東岸には「伊能忠敬顕彰碑」も設置されています。

顕彰碑のある場所からは、ちょうど株式会社ゼンリンの「地図の資料館」が入っているビルも見えます。

今と昔の、それぞれ日本の地図作成の第一人者的存在が一つの風景に収まっているのは何だか感慨深い眺めです。

常盤橋周辺の旧街道

常盤橋は長崎街道だけでなく、唐津街道・秋月街道・中津街道・門司往還の起終点でもあり、言ってみれば江戸時代における九州の交通の頸動脈のような場所でした。

地図で見るとこんな感じです。
江戸でいうところの日本橋みたいな感じでしょうか。

常盤橋周辺の旧長崎街道には、こんな標識が埋め込まれています。

あと戻りするかたちになりますが、常盤橋の西側を街道の標識をたどってちょっと歩いてみたいと思います。

常盤橋の手前、室町の通りは道幅も狭く街道だった頃の面影が残っていますね。
(画面中央 奥に見えるのが常盤橋です。)

「小倉縣廰ノ址」の石碑。小さい石碑なので気づかずに通り過ぎそうになりました。

“縣廰”は県庁のことです。昔は小倉県というのものがあったのですね。調べてみたら明治四年から明治9年まで存在していたみたいです。
Wikipedia 小倉県

このすぐ近くに、小倉県庁だった建物の一部も残っています。
今はお店が入居して営業しているようでした。

ちょっと横道にそれましたが旧長崎街道にまた戻ります。

通り沿いにある建物の一角には「長崎街道ギャラリー」という展示コーナーもあり、発掘調査の際に出土した古銭や陶磁器などが展示されていました。

飯塚で見た黒ポストがここにもありました。

そしてここは長崎街道と唐津街道の合流点だった交差点。今では住宅の間の静かな通りといった感じです。

小倉駅前に残る門司往還の痕跡

常盤橋を渡って東側、京町の商店街の入り口には参勤交代往還路(門司往還)を示す標識があります。

門司往還は常盤橋から門司方面へと向かう約16kmほどのみじかい街道です。

門司往還は真っ直ぐ小倉の市街中心部を横断しています。
京町・魚町のアーケード街の一部は、大村や飯塚と同じく、街道だった道がそのまま商店街になっている場所です。

商店街を抜けて小倉駅前の大通りへ。

商店街出口からの横断歩道は門司往還の道筋を示しているそうです。

この横断歩道を渡った先にはコレットという大きな商業施設がありますが、この建物は門司往還の真上に建っていることになります。

コレットの東側の出口正面には看板も建てられています。

看板の向こう側に真っ直ぐ続いている通りがかつては門司往還だった道です。

googleMAPで見るとわかりやすいです。

図中赤の点線で示したのが門司往還、先ほどの駅前の横断歩道が図中Aの箇所、Bが参勤交代往還路の看板です。

なお、意図的に設計されたものかどうかは不明ですが、コレットの建物内の通路も旧街道の道筋とぴったり重なり合う直線になっています。面白いですね。

湖月堂・喫茶去

旧門司往還沿い、魚町商店街の中にある湖月堂本店でひとやすみします。

店舗の隣には約300席あるゆったりした飲食スペース 喫茶去が併設されています。

店名を聞くと喫茶店なのかな?という感じですが、食事メニューも充実していてお食事処も兼ねている感じです。

ここではおやつセットを頂きました。
飲物はコーヒー・紅茶・お抹茶、お菓子は和風・洋風から好きな組み合わせで注文できます。

写真はお抹茶+和風お菓子。ちょっと意外な取り合わせでしたがアールグレイ味のマカロンが特に美味しかったです。

大里・門司

小倉から少し足を伸ばして門司往還の終点の宿場町だった大里に行ってみたいと思います。

小倉駅から電車に乗り門司駅へ。駅を出て海側に向かって歩きます。

この付近が大里(だいり)と呼ばれるのは、その昔壇ノ浦の合戦があったころ、安徳天皇の御所=内裏(だいり)がここに置かれたことに由来しているそうです。

大里は大正時代に九州で初めてのビール工場が建てられた場所でもあり、その工場跡は現在、門司赤煉瓦プレイスとして観光スポットになっています。

赤煉瓦プレイスの中を走る通りがかつての門司往還。

現在赤煉瓦交流館となっている建物の横には長崎番所跡と記された小さな石碑が立っています。碑の側面にはこう書かれています。

寛政十一年(1799)、幕府(長崎奉行所)は大里浦出張所をここに設置した。
当時、玄界灘に出没した密貿易船の取締りと、対唐貿易の代物(俵物諸色)を長崎に送る為、保管仲継の基地として設置した。

門司麦酒煉瓦館の傍らには大きな松が。この松は旧街道時代からある古い木のようです。

大里の海岸から眺めた海。

江戸時代には島津氏・鍋島氏などの九州の大名が参勤交代の際にここから本州へ渡っていました。

本州への渡航は黒崎宿からも行われていましたが、参勤交代の時期は諸大名の利用が集中し宿場が大混雑してしまうため、その混雑を避けるためにも大里を利用する大名が多かったようです。

大里の海岸近くの街道沿いには、各大名が宿泊所としていた屋敷が立ち並んでいました。

長崎港に上陸し長崎街道をはるばる歩いてきた象も、ここから船に乗り海を渡ったと記録に残っているそうです。

門司港駅

さらに足をのばして、今年3月に修復工事が完了した門司港駅も観に行ってみます。

修復工事にかかった時間は約6年、資料が乏しく大変な苦労があったそうですが大正時代の姿に復元されたそうです。

これは「0哩(マイル)」の碑。

明治時代に九州に鉄道が開通して以降、ここは九州の鉄道の起点で、当時は「門司駅」と呼ばれていました。旅客や貨物は門司駅までやってくると連絡船に乗り換えて本州へ渡っていました。

その後昭和になり関門トンネルが開通すると、大里にあった駅が門司駅と呼ばれるようになり、旅客・貨物とも門司駅から関門トンネルへ入り本州へ運ばれるようになります。あわせて以前の門司駅は「門司港駅」という名前に改められました。

プラットホームの屋根は木が使われ、傘のついた電球が下がっていてとてもレトロな雰囲気です。

外観だけでなく内装も素敵な駅です。

小倉の歴史と菓子

小倉でも江戸時代から様々な菓子が作られていたと思われますが、現在よく知られている小倉銘菓の多くが誕生したのが明治-大正期です。

近代小倉の発展は、明治8年(1875年)陸軍の第十四師団が旧小倉城内に置かれたことにはじまります。大きな軍隊の駐屯地であったため次第に軍需産業も盛んになっていきます。

また、明治34年(1901年)に官営の製鉄所として操業を開始した八幡製鐵所に代表されるように鉄工業のまちとしても栄えます。

軍都そして工業都市として人口が増え、ちょうど製菓原料の砂糖や小麦粉が大量に流通するようになった時期だったことも重なり、小倉でもたくさんの菓子が製造、消費されるようになりました。

(実は九州で一番最初の政令指定都市に指定されたのは北九州市です。福岡市かな?と思いがちですが違うんですね…。このことからも、小倉がいかに人口が多く都市として発展していたかが窺えると思います。)

近代に産業の発展に伴って菓子文化が発展していく様子は、地理的にも非常に近い筑豊地方とよく似ている気がします。

お菓子試食タイム

小倉で買ってきたお菓子を食べてみたいと思います。

鐵平糖

まずはちょっと異色のお菓子から。

八幡にある千草ホテルと入江製菓というお菓子メーカーの二社がコラボして生まれた”鉄の味がする”金平糖、その名も「鐵平糖(てっぺいとう)」です。鉄の味がするのは、同じ八幡地区にある八幡製鐵所にちなんで作られたからだそうです。

このお菓子の誕生の経緯は是非千草ホテルさんのブログ記事にてご覧ください。
「鐵平糖(てっぺいとう)」誕生秘話|千草ブログ

見た目も少し錆びた赤っぽい鉄の色です。

食べてみると…
口に入れた瞬間はちょっと酸っぱい味がします。鉄の味と言われればそんな気もするような…。しばらく口に入れていると甘い金平糖の味に変わっていきます。

時代が前後しますが、金平糖はスペインのお菓子「コンフェイト」が安土桃山時代に南蛮文化の一つとして日本に伝来したものとのこと。

「肥前の菓子」によると、外国人宣教師が書き残した当時の記録(ルイス・フロイス「大日本史」)には、織田信長にも金平糖が献上され、信長は大変気に入って食べていた様子が記されているそうです。

金平糖は伝来した頃から現在に至るまで、その製法はほとんど変わっていません。

ゆっくりと回転する釜の中に芥子の種や胡麻粒など核となるものを入れ、煮溶かした砂糖の液を根気よく掛け続け、数日から1~2週間ほどかけて徐々に大きな粒にしていきます。

作るのに大変手間のかかるお菓子で、あの特徴的なツノをきれいに作るには職人の熟練の技と勘が必要なんだそうです。

九州にも多くあった金平糖の製造会社ですが廃業などで次第になくなり、入江製菓さんは現在では数少ない製造元となりました。
創業は昭和9年の老舗、金平糖をはじめ様々な飴を製造されています。

金平糖の通販サイト いろは屋の金平糖

栗饅頭

北部九州民にはTVCMでおなじみ、湖月堂の栗饅頭です。

日清日露戦役の頃、勝栗を包み「栗饅頭」として発売したところ、その趣向が当時の戦勝を願う風潮に受け入れられたこともあり、広く皆様にご愛顧を頂きました。
以来、「栗饅頭は湖月堂」として、弊社の代表銘菓になっております。
(湖月堂HPの商品紹介より)

戦時の縁起物が栗饅頭誕生の元となっていたのですね。

「湖月堂」という店名も、店主と親交のあった陸軍の師団長に命名してもらったものだそうで、軍都だった小倉ならではのエピソードという感じがします。

店頭では大きいサイズと小さいサイズが売られていましたが今回は小さいサイズを購入しました。

中には栗を練り込んだ餡と蜜漬けの栗が入っています。表面の栗の皮のような茶色のつやつやは卵黄を塗って焼くことで形成される模様。
餡も皮もしっとりとしていて程よい甘さのお饅頭です。

御菓子司 湖月堂

小倉日記

大正12年に小倉で創業した菓子舗、つる平が販売しているお菓子です。
商品名の「小倉日記」は、 明治時代に軍医監としてこの地に赴任した森 林太郎=森 鴎外の同名の著作に由来します。

パッケージデザインもレトロでいい感じ。

小ぶりなバウムクーヘンの中にクリームが入っています。
(何故バウムクーヘンなのかというと、鴎外が留学したドイツのお菓子に因んで、とのことらしいです。)

商品自体は昭和40年代に販売されたものなので、昔ながらの伝統的な菓子ではないのですが、食べてすごく美味しかったお菓子なので紹介しておきます。

つる平 | 北九州銘菓 「ぽんつく」 「小倉日記」

今回の紀行マップ

小倉は市街中心部にも街道の痕跡が色々と残っていて、過去と現代がともにある面白い場所だと思いました。

個人的には、小倉駅前でモノレール線路と門司往還の名残がちょうど立体交差状態になっている箇所が特に好きです。

この連載をスタートしたのが2017年6月、約2年かけて少しづつシュガーロードを辿りました。

殆どが博多から日帰りで行ける距離にある場所ですが、この紀行を行ったことではじめて訪れた場所も数多くありました。

紀行を始めるきっかけとなった本、「肥前の菓子」は今から10年ほど前に出された本です。

この本には載っているけれど既に生産されなくなっていたお菓子(唐津地方の若緑)もありました。また、紀行の中で出会うことができたけどその後お店の休業等で現在はもう食べることのできなくなったお菓子(塩田の楠田製菓本舗さんの逸口香)もあります。

こうしている間にも、古いお菓子は少しづつ姿を消していくのかもしれません。

シュガーロードはこれで終点に至ったわけですが、まだ他にもお菓子を求めて訪れてみたいと思っている場所があるので、この連載はもう少し続く予定です。

それではまた。

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